私が香港でホームシックにならないわけ

香港に来てからというもの、ホームシックになったことがない。

ホームというより、カントリーシックというのだろうか。
私の場合、好きでこっちに来ているというのもあるだろうが、
それにしても、もしこちらの生活が楽しくなければ、
とっとと尻尾を巻いて帰っていたことだろう。

そこで、今回は普段香港に悪態ついてばっかりのこの「香港ライフファイル
にしては珍しく、香港の良さについて思いついたことを書き留めたい。

よそ者に寛容な気風

香港という街はよそ者に関して大変寛容だと思う。
これに関してはまさに国際都市の名に恥じない。

見た目が思い切り欧米系だろうと、日本人だと知ってようと、
物怖じせずに広東語で話しかけてくるし、
逆に我々も普通語や広東語を勉強して土地に馴染もうとするものが多い。

どんな人であろうと、香港に長く住んでしまえばみんな香港人
そういうコンセンサスがここにあるような気がする。

まぁ、でもそりゃそうだ。
今日ここにいる香港人だって、先祖をたどっていけば、
深センとの間にある川を不法に泳いでわたってきたような人だって
普通にいるし、純粋な意味での香港人なんてほとんどいないわけだから。

同じ香港に住むもの同士、楽しくやろうじゃないか
そんな気風だからこそ、香港が心地よくなって居着いてしまう
私のような外国人が後を絶たないわけだ。

いつでも帰れる安心感

香港と日本との時差はたったの一時間。
飛行機に乗ってしまえば、3〜4時間程度でついてしまう。
この距離感は心理的にかなり重要だと思われる。

帰りたくなったら「いつでも帰れる」

この安心感があるとないとでは大違いだろう。
日本に帰るのに時差ボケもないし、やろうと思えば、
土日だって帰れるわけだから、欧米在住者に比べて気分的に随分楽である。
(ただし、あんまり気楽すぎて気を抜き過ぎないこと

それから、香港には多くの日本人も住んでいるし、
私は全然だが、お好みでどんどん日本人のお友達も作れる、
という環境は移動したての時は特に良いのかもしれない。

食べ物がうまい

その土地の食べ物が合わないことほど辛いこともないだろう。
ちゃんと食べないと力がでないし、そのストレスも計り知れない。

私も香港に来た当時はあまりの油っこさに辟易したものだが、
油っこくないグルメも献立に組み込めるスキルを得てからは
食に関しては特に不満のない毎日である。

下町の何でもぶっかけられてるご飯、やる気の感じられない朝食、
何時間茹でたんだかわかんないパスタ等、一曲も二癖もある連中が
多いが、これらに抵抗がなくなってくればしめたもんである。

市内各地に散らばるゴミ箱から拾ってきたような飯を出す店も
徐々に体で覚えていけば、入ってはいけない店には
自然と体が向かないようになってくるから、安心するべし。

都会的、だが人情深いところも

香港という場所、キャリアを積むにも悪くない場所であろう。
ずいぶんと癖のある英語ではあるが、多言語での経験も積めるし、
多国籍企業がたくさん進出しているので、それなりにチャンスも多い。

それに、セントラルあたりを歩いていると、
たしかに国際都市、香港を実感できることもあるし、
東京にも負けないメトロポリタンシティであることには間違いない。

しかし、そんな多忙を極める大都会でも私がさいわい孤独をあまり
感じないのは、そこらを歩いている人たちが妙に人間臭いからかもしれない。
(この時期、本当に臭い人たちも大勢発生しているが)

みんな初めは少し冷たいのだが、ちょっと知り合いになれば、
家族のように気さくに話しかけてくるし、とても人なつこい。
そして、そんな日々の会話から、人の優しさに触れることもできる。

香港人の嫌なところも散々見てきたけれど、それでも
大嫌いになれないのは、そういう人情深さを知っているから。
そして、ここらへんが大阪に似てると言われる所以なのだろう。

地政学的な妙味、眠らない街

アジアのどこにでも簡単にアクセスできる上に、
近代的な施設、秩序だった社会にいながら、
中国の成長を肌で感じられるという抜群の環境。
ある意味、世界でも有数の面白い都市なんじゃないかと思う。

街に溢れる熱気やエネルギーが日本の比ではないし、
まさに中国の勢いというものを感じさせてくれる。
夜遊びともなれば、不夜城よろしく、朝まで眠ることはない。

自分の中に熱いものがあって、それを爆発させる場所を求めている、
そんな人にとってはこれ以上の環境もそうそうないだろう。
香港はそんな熱意にこれまた熱く応えてくれるはずである。

ただ、歳とってからどうするんだろ、とはたまに考えるが。
こんな慌ただしい人混みのなかで老人が暮らせるものだろうか。
・・・やはり小鳥たちと戯れるしかないのかもしれない。

無所謂。事但。差唔多。の世界に慣れすぎた・・・

これが私の中ではおそらく一番大きな理由なんだが、
広東語から垣間見える香港社会の一端を紐解くでは
あれだけ無責任系の広東語を斬っておきながら、

香港の適度ないい加減さがちょうどよくなってしまった

というわけである。
香港で暮らす上で最後の最後はなんとかストレスを逃がすことが
できるのは、香港人たちに影響されたこの生き方にあると思う。

だから、たまに日本出張に行ったりすると、
「あー、こんなかたっ苦しいことやってらんないわ。」
「日本ってルールばっかじゃん?」

とか年甲斐もないことを私はいつも考えてしまっている。
ひとりの日本人リーマンとして、あってはならないことだとは思うが、
今更ルールで雁字搦めの社会に戻るとなると多少気が重いわけである。

と、今軽く考えただけでも割とそこそこ上がってきたわけで、
香港という都市が私のような海外初心者にも住みやすい場所であり、
愛すべき魅力に溢れた場所であることは明白だ。

そういう意味では香港でまずは経験を積んで、世界に羽ばたいていく、
というのも悪い選択ではなかろう、若者諸君よ。

・・・今まで散々書いてきているから説得力ないか

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