東京にいるからこそ余計に気になっちゃう香港民主化デモ

もはや私のホームタウンとも言える香港のニュースを今遠く離れた
東京で見聞きしているわけだが、国慶節を前にした怒りの香港
報道はさすがに胸が痛くなると言わざるをえない。

こうして日本から見ている香港ファンでも何でもない日本人の
いったいどれだけの人がこの一連の活動を正しく認識しているのだろう。
せいぜい日常的に中国で起こるデモの一部くらいにしか考えていない、
という無関心で理解のない層がまだまだ多いのではないだろうか。

そんな方々が思う「あら、中国は大変ね。そろそろ共産党も終焉かしら。
という何気ないフレーズとは裏腹に当の中国人たちにとっての
中国政府というのはそんな軽々しく崩壊してくれるような存在ではなく、
未だに共産党にとっての脅威に対しては断固として弾圧を加える
手強い敵というような簡単な言葉では済まない厄介なヤツらなのである。

 このままずっと香港に住むの?

香港生活も長くなった私であるが、よく友人から聞かれる質問が
このままずっと香港に住むの?」というもの。
今のところ、私がこの問いに満面の笑みで「もちろん!」と答えたことはない。

私は香港が大好きだし、今すぐに日本に引き上げたいというような
理由はどこにも見当たらないが、この質問を冷静になって考えるときに、
いつも私の頭を過るのが「一国二制度も50年間だけ」という事実。

徐々に中国化していくであろう香港が50年経ったころに身も心も
中国になった時、私がそこで香港ライフファイルを書いている姿は
まったくもって想像ができるものではない。
香港が香港らしいから好きなのであって、私は別に中国は好きではない。

そういう意味では私はまだ逃げ場のある気楽な外国人なのだろうけれど、
ここで生まれて育ち、日々広東語を話し、香港をホームタウンだと
思って疑わない香港人、それも若い世代にとっては50年という
タイムリミットも、約束をも帳消しにして中国化のスピードを早めようと
する中国政府、それにしっぽを振ってついていく香港政府たちは
もはや我慢や怒りを通り越して恐怖にすら感じられることだと思う。

カオス都市で起こるカオスなデモ

デモにはカオスが渦巻いている。
今、必死になってデモに立ち向かっている警察の人たちだって、
心の中はきっと泣いてるんじゃないだろうか。
本当は反対側に立って、同じように民主化を叫びたいはずである。

彼らだって香港の治安を守るために日々働いているわけであって、
それは香港を愛してなければ決してできるようなサービスではない。
ひとたび家に帰って制服を脱げば、彼らも一香港市民であるから、
人並み以上に複雑な心境であることは想像に難くない。

一方で、冒頭にも書いたように中国政府というのはまったくもって
油断ならないヤツで、世界的な発言力は日に日に増すばかり。
しかもヤツラの不動のポリシーと来たら外国からの内政干渉の
徹底排除であるから、他国からも助け舟を出せるような状態ではない。

中国で何か変えられる可能性を秘めている場所をひとつ上げる、
としたらそれは香港をおいて他にないとは思うが、だからといって
今行き過ぎた行動に出ても、それは逆に共産党による干渉を
早める逆の効果しかもたらさないわけであるから、まことに皮肉である。

そういう考え方をする層もあって、みんなが思うところは
当然平和的な民主化なのだが、それに対するタイムラインや
アプローチが各派閥によってズレているし、何より人間という
ひとつの生き物として怒りというごく自然な反応が抑えきれない人たちが
多数発生しているから、まさにいろんな感情が渦巻くデモとなっている。

 七一でも書いたけれど

香港の立ち位置というのは記事中にも書いたとおり、本土に依存する
経済も絡んできていて、いよいよ複雑さを極めている。

が、中国政府から見れば香港もすでにすっかり手中に収めたつもりで
いるだろうし、それはもう飼い犬のようなものであるかもしれない。
それに対して、香港には英国の元で育んだ過去の栄華があり、
豊富な外資を背景とした金融都市としてのプライドもあるし、そこは
中国政府も一目置いてきたところではある。

しかしながら、そんな香港を放し飼いにするほど優しい飼い主ではないから、
政府の手厚いバックアップを受けた上海を始めとする大陸都市の成長は
近年著しく、相対的に香港のプレゼンスは下がる一方

そんな中で衰えつつある老いた飼い犬に手を噛まれた中国政府が黙っている
はずがない。そこで少しでも譲歩を見せようものなら、中国内部の秩序が
揺るぎ、大陸の至るところで反逆の目をした犬が生まれてくる懸念もある。

そういう意味では香港を取り囲む事情は、日本の方々が思う以上に
複雑であり、香港市民が今まで溜め込んできたやるせなさは
想像を絶するものがあるといえるだろう。

気の遠くなるような地道な活動であるけれど

胸に込み上がるものはあっても、今すぐそれをぶちまけるのも得策ではない。
それが私の基本的立場である。要するに保普選反佔中と言うやつ。
(普通選挙は実現したいけど、暴力的なこととかはやめとこ、ってこと)

これまで散々書いてきたとおり、このタイミングで暴力的な行動に出るのは
香港にとって危機を早めることはあっても、何の得にもなるものではない。

こういう書き方をするとパッシブすぎるような気もするけど、
たとえば「へぇ〜、また中国でねぇ。」程度しか関心を持たない日本人を
はじめ国際的な理解を得られるように地道に活動することも重要だろう。

そして、台湾をはじめとする中国に対して向き合わなければならないけど、
まだまだ不信感を持つ国との協調の姿勢づくりをすることも当然キーとなる。

香港がたとえ金融都市としての魅力がなくたっても、一定の理性的な行動を
続けるかぎり中国政府もおいそれと不当な中国化を推し進めることはできない、
と今のところ私は信じることにしている。

何故なら、台湾にとって、香港は将来の自分たちであり、今日中国政府が
香港に対する態度や行動も明日は我が身という目で見ているはずであるから。

これは香港にとってはアドバンテージとして使っていかなければならない
材料であり、それとは関係なく感情的に無駄死するような行動はぜひ
避けていただきたいとは強く思っている。

若気の至りじゃ済まされないから、そこらへんは彼らに油を注いでいる
ちょっと頼りなさ気なおじさんたちが責任をもって自制を促して欲しい。

結局、私もどれが最善というのは言えないけれど、香港が一日でも長く
香港でいられるように、願わくばずっと香港でいられるように
私にできることは小さなことでもしていく覚悟はあるつもり。

本当に気の長くなる活動ではあるけれど。

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