Meet at 美孚

いろんな出会いがあって、楽しい一週間だった。
オタクのくせに。に書いたような新しい香港人がやって来て、私の仕事も少し面白くなった。
そして、実はそれとは別にもうひとつ素敵な出会いも週半ばには発生している。
せっかくだから、ここではそれについて少しばかり記録しておきたい。

まさか一緒にディナーすることになるなんて


香港について書き物を始めてから、今まで知らなかったいろんな方とお会いすることが多くなった。
どうやら幸い人には恵まれているようで、いずれの出会いの時でも皆さんよくしていただいて、
同じように香港が愛する人がいること、私が書くような文章でも読んでくださることに感謝し、
それはもうブロガー冥利に尽きるような経験をさせてもらって来ている。

ちなみに、そのような場合、読者の方々に向かって「ぜひお会いしましょう」なんて
シャイすぎる私には決して言える言葉ではないので、必然的に先方からの申し出によって
場がセッティングされ、出会いが生まれてきているのだが、今回のそれは
いろいろと事情が異なっていたと言える。

まず、先方が公にクリエイションのお仕事をされている著名人であられること。
香港でお会いすることが出来るくらいだから、もちろん大の香港好きでいらっしゃるお方である。
自分はブログを書き散らかすくせに他の方が書くものはまったく読まないし、
香港に関する書籍も一冊しか買ったことがない、という私でも存じ上げているし、
この方から生まれてくる作品は無条件に愛して止まないというくらいの憧れの存在。

よって、お会いすることすら夢見ていなかったのだが、あれよあれよという間に
「今度、先生がいらっしゃるので、良かったらディナーでもご一緒に。」「あぁ、是非に。」
と、私がよくある社交辞令だと気にも留めないようにしていた約束が実現する運びとなってしまった。
(アレンジくださった方には大変感謝しているし、この方ともブログを通じて出会った過去がある。)

尚、下記にディナー時に感じたことを少々続けていきたいと思うが、先方にとっても
私のように田舎臭い文章を書くヤツとお付き合いがあると知られることはあまりメリットがない、
と思われるため、出来るだけボカして書いていくのでご了承願いたい。
(が、分かる人には分かるだろうから、そんな人のために私なりの考察を綴る記事でもある。)

 それはまるで以心伝心


美孚でセッティングされた中華料理のテーブルを囲みながら、私は緊張の時を過ごす。
ちょっと目を通しただけで私だって「あ、これはあの人のものだ。」と分かるような抜群の個性と
いつだって私の心を捉えて離さない不思議な魅力を持った素敵な作品を生み出すご本人が目の前にいる。
これで緊張しないほうが人として間違っていると断言できる情況である。

そんな私をまず驚かせたのは先方も私のブログを時折覗いていると思わせるような話のくだり。
さすがに100を超える記事をインターネット上に書き散らしていけばそのうちのひとつくらい
SNSのタイムラインに紛れ込んでもおかしくないだろうが、割とじっくり読んでいただけているようだ。
そして、もっと驚かされたのはその文章たちから私の想いを抽出する精度。

今までもいろんな方とお会いし、私のブログについてあれこれ語り合うという嬉し恥ずかしい経験を
して来ているけれど、この方ほど私の意図や感情を上手に濾過して汲み取ってくれているのだろう、
という安心感と喜びを感じさせてくれるような方にはなかなか出会ったことがない。

そして、そういう精度の高さこそがこの方の作品が他のそれと決定的に違う何かを持っている、
魔法のトッピングソースの秘密なんじゃないかと私は疑い始めた。
何かを創りだす時、時間と労力を惜しまずそれとしっかり対峙し、表面的には見えてこない
物事の本質や、他人がなかなか気づかない側面を精査・解釈して自分のものとして咀嚼する力。
そういう天賦の才能を持っているのだろうし、それ以上に努力を厭わない人なのではないだろうか。

芸術というものがひとつの完成形を迎えるまで


ひとつのものと真剣に向き合って、自分の感覚でそれをしっかりと解釈できること。
自分の見えたものに自信を持っていて、決して他人からネガティブな意味での影響を受けないこと。
そして、自分が思い描いた画をアウトプットする技術。

アウトプットのスキルが優れた人材は世の中に掃いて捨てるほどいるのだろうけれど、
個人的にこの方の作品に惹きつけられるのはきっと創造の初期に行われる活動における能力と努力が
人並み外れているからなのではないかという推察はディナーの間に私の中で確信へと変わった。

事実、私たちがあんまり緊張しているから、余計に気を遣わせてしまっていっぱい喋らせてしまった
先生の口からは他では聞いたこともないような香港の姿や、独特の形容詞が飛び出してくる。
そして、いちいち気づいていることが多いから、きっとこの人と街を歩いていようものなら、
「もうそんな小さいこと、いちいち良いから」なんて言う人も出るかもしれないくらいの発見力。

子供のように新鮮な目線と、それを伝えるときの自由で独特な言い回しから香港の街並みが滲み出る。
そういう世界観を持っている人。だからこそ、あんな唯一無二な素敵な作品が生まれる。
ーー 点と点が繋がった。

「私、実は香港のこと、あんまり知らないんですよ。」


おそらく、ウソのようで本当のことなんだと思う。

世の中には香港の事を香港人よりもよっぽどよく知ってるんじゃないんだろうかと思うような
日本人だっているし、香港情報サイトなんてものもちょっと検索すればいっぱい出てくる。
この方の世界にどっぷり浸かっていても、きっと香港に関する最新情報になんて
ほとんどリーチできることなんて無いし、インフォメーションソースとしての価値は乏しい。

それでも私はこの方から生まれてくる香港の姿をより好む。

当たり前にある風景の中に新たな視点を改めて吹き込む作業。
「あぁ、そうそう。これだから香港、好きなんだよね〜。」
と思い出したように頷いてしまうような説得力。

これこそ私がブログを通して物を書くときにずっとやりたかったことだったと思う。
そういうことを優しいタッチでさらっと体現してみせる方と出会うことができたのは
私にとっても随分と刺激になったと思うし、原点を見つめなおすチャンスだった。

兎にも角にも。
こんな素敵な出会いだって、「香港」というキーワードがなければ生まれてこなかったはず。
普段なかなか繋がらないであろう人と人だって、香港好きならあら不思議。
いつの間にか一緒にテーブルを囲んで美食に舌鼓を打つ仲に。まさに香港マジックである。

作品の素晴らしさにも負けないくらいの素敵な人柄で貴重なお時間を割いてくださった先生、
そしてアレンジくださった方にはこの場を借りて感謝を申し上げると共に、
今後のご活躍をお祈りして生意気なことをさんざん書いた本記事を締めくくってみたいと思う。

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