聖域なき香港・交通戦争(歩道)を勝ち抜くために

一応、私も車の運転免許くらい持っているが、
日本でもあんまり運転する機会が多くなかったし、
ましてやこの狭い道路にあり得ない数の車がひしめき合う、
戦場のような香港の道路を走ろうなんて度胸はさらさらない。

だから、ここでの私は専ら乗せてもらう立場であり、
いわゆる交通事故を起こす立場ではないはずなのだが、
この魔都・香港、驚くべきことに歩行者用の歩道ですら、
うかうか歩いてらんないから、田舎者には辛い。

まさに聖域なき交通戦争である。

計算されつくされた、芸術的でジコチューなコーナーワーク


香港人と並んで歩く時、曲がり角が見えると、私の中に
多少の緊張が走ってしまうことがしばしばある。
なんせこの人たち、機械のように正確な最短距離での
曲がり方が頭のなかにインプットされており、
その無駄のないコーナーワークを完璧にこなしてくるからだ。

一人でそれをやってくれるのは全く構わないのだが、
問題は私が一緒に歩いていてもそれをやることである。
私がインを歩いているっていうのに、人一人分のスペースも
残さずにコーナーが近づくなり急にインに斜行してくるので、
私はそれによって躓いてしまうことも多々。

斜行を犯した当の本人は何も無かったような面をしてやがるから、
この熾烈なイン争いは香港では当然に起こることなのかもしれない
眼の奥に怒りを浮かべる私を不思議そうに見つめている。

よって、最近の私は目の前に曲がり角が見えると、
速やかにインコースを香港人に譲り、アウトコースから
芸術的な彼らの足取りを高みの見物することにしている。

ちなみに、これは私が知らない人だからとか、
実は犯罪スレスレの日本人への隠された嫌がらせなのかと
思っていたが、友人と歩くときも結構な頻度で発生するので、
やはり生まれた時から持っている本能だと推定する。

まったく、この人たちがプロのF1レーサーだったり、
競馬の騎手とかじゃなくて、本当に良かったよね。

自責100%やからな、言っとくけど


上記の曲がり角での件はまぁ、いいだろう。
無駄なく歩きたいという効率を重視する香港人の気持ちも
百歩譲ってみれば、分からんこともない。

しかし、私がどうしても理解不能なのは、人通りの少ない、
なーんにも無い広場の真ん中で私が突っ立っているのに
それでもぶつかってくるヤツが少なからずいること。

突っ立っているってことは、車で例えるなら、駐車中である。
平日のがら空きのデパートの駐車場のどまんなかに
車を止めているというのに猛スピードでそれに激突し、
何事も無かったようにまた去っていくのである。
ひどい場合は、こっちが怒られることも

何なの、これ。また、得意の最短距離優先主義か?
ちょっとでもその経路から外れると死ぬの?

… それからさ、通路でお喋りに夢中になりながら
歩いてくる師奶様たちとすれ違うときとかも悲惨
お腹まわりにぜい肉を蓄えてる人たちが横並びに歩いてくるから、
通路が完璧に右から左まで埋まっているわけ。

そして、何人かは私の存在にも気づいていて、目も合ってるのに
誰も道を空けようとしないのはどういうことであろうか。
底引き網漁の網にかかった魚の心境である。
どんどん網が近づいてくるから、後ろしか逃げ場がないのだ。

このお喋り星人たちに料理されるくらなら死んだほうがマシである。

たしか、人を殴るものでは無かったと思う


それから、この時期多いのが雨だが、ただでさえ鬱陶しいってのに、
歩道上ではこれまた信じられないような出来事が起こってしまう。

傘。まず、人は何故傘をさすのだろうか
念の為にWikipediaに載っている傘の定義をのってけおく。

傘(簦・かさ、からかさ)とは、雨・雪・日光などが
直に当たらないよう、頭上に広げ差しかざすもの。

自分の身を雨風から守るために受身的に使用するものなのである。

しかし、ここの住人たちはどうであろうか。

先週の台風の時だって、オフィスにいる時は
「まだ風も強くないし、全然余裕で帰宅できるだろう」
と思ってたのに、通りに出てみると傘がグラングラン揺れて、
今にも壊れそうなくらいの衝撃である。

これはおかしい、と思い、周りを見渡してみれば、
すぐ後ろをピッタリつけてくるのが一人の香港人
まさに至近距離と言えるところから、ガンガンと傘で
どついてきているわけである。

傘って、凶器ちゃうで

雨が降る度に毎回であるから、さすがに私も頭に来ている
だから、最近の私は相当やばい雨が降らない限り、傘はささない。
ヤツラの間を縫いながら、颯爽と駆け抜けるほうが
よっぽど濡れずに済むということに気づいてしまった。

ちなみに、そんな話を聞いた香港人の友人は、まったく優しい人で
「雨に濡れてしまうから、ちゃんと傘さしたほうがいいよ」
と心配してくれたのだが、私はちょっとかっこよく、

「傘なんて持ち歩くの面倒臭いし、濡れたって平気。
イギリス人だって傘ささんって言うやろ。

と決めてみたところ、

「いや、濡れるのはかまわないけど、中国からの汚染物質とか
いろいろ雨に混じってるから、禿げても知らないよ。」

・・・やっぱどつかれてた方が良い。(泣)

 私はあのダンスにヒントを得たのである


最後に。

この歩道も含めた聖域なき香港交通戦争によって、受難の日々を送る
私だが、こっちだってやられてばかりではない。

とにかくどこに行ったって、人がわんさかいて、四方から容赦なく
香港人たちにぶつかってこられてしまうわけである。
これに対処する方法は無いものであろうか?

毎日、腹筋・腕立て等の筋トレを大量にこなし、フィジカルを鍛えた上で、
当たり負けしない体を作る、というストイックなことも考えたが、
私にそのような根気と忍耐があるとは今までの人生を振り返っても
到底思えない、という結論には一瞬で辿り着いた。

そうこう消去法を繰り返しているうちに、ついに私はひらめいてしまった。
ヒントはこれである。

kozak

写真の中のお兄さん、さわやかな笑顔を振りまいていらっしゃるが、
私の話す内容はちょっと殺伐としている

この世界有数の知名度を誇るコサックダンスの上半身に注目して欲しい。
これがまさに肝となるパートである。

腕を写真のように組んだ上で、気持ち前に押し出す感じで歩いてみる。
すると、全く鍛えなくても硬い部分、「肘」が体の前に出ることだろう
これなら、誰がぶつかってこようと全く問題ないんじゃないだろうか。

ちょっと考え事をしてるようにも見えるかもしれないが、
バカ面下げて歩くよりはよっぽどマシである。

このアイデア、実は私の旺角におけるプライベートな実験の結果、
非常に良い結果が出ており、私自身も非常に驚いている。

というか、誰もぶつかってこなくなる。痛いからね。

でも、そうすると新たな疑問である。

あんたら、ちゃんと私のこと見えてたのに、それでもぶつかってきてたの?
ってこと。肘が見えれば来ないわけだからさ。

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