美食の街のそうでないところ

もし私がアルプスに生まれていたなら、冬場は毎日のようにスキーにでかけていたかもしれないし、
南の島で育ったなら真っ黒焦げに成るまで海で泳いでいたかもしれない。

そんなことを考えることもあるけれど、私は自分が考える以上に天邪鬼だから
実際のところ、そうでもないかもしれないとも思う。
事実、この香港という街に住んでいたって、私の生態はあんまり香港らしくない。

たとえば、過酷な住宅事情を抱えるこの街で、時間も庭もないというのに花墟に通いつめては
肥料や培養土なんかを喜々として持ち帰り、初心者向けと言われる植物を枯らせ続けるという
非生産的な行為を延々と続けたり。新界に住んでいるくせに休日になっても
都心には目もくれず離島巡りに明け暮れたり。東京だったらいろんな著名なオケや指揮者が
頻繁にやって来るのに、香港フィルという地元オケの成長を親のような心持ちで見守ってみたり。

要するに、何故わざわざこの街で?と首を傾げられてしまうようなことばかりしている。
その土地ならではの楽しみ方、「本場」と言われる土地柄を満喫するライフスタイルではないから、
いわゆる日本人が香港と聞いてイメージするようなものと私の生活との間には若干の距離がある。
そういう意味では私は香港を満喫してない類の人間と言われるのかもしれない。

それは、旅行者が描く香港というイメージと在住者である私が生活する上での空間との乖離が
主原因だとも思うけれど、日本で当たり前にあったものがこの街にはなかったりして
それに今更ながらに気づいて慌てて愛でる、私の妙なセンチメントが理由だったりもする。

そんな私が「じゃあ、香港らしい香港ライフを。」と考えてみたとき。
やっぱり「食」なのかしら、と思う。

もっとも、何で私がそういう風に考えるかというと、各種ソーシャルメディアなんかを
さっと流し見してみると、「食」に関する言及が圧倒的に多いからという単純な理由。
確かに健康な人なら一日最低3回も発生するイベントである上に、新しい店もどんどん出来るし、
自分なりにアレンジ出来るトピックだから目につく機会が必然的に多くなるのかもしれない。

だけど、私に言われなくたって、知ってる人は知ってる事実を敢えて重ねて書くことになるけど、
この狭く、カオス蠢く街には「食」以外にも心を動かされるようなものが実はいっぱいあるから
一意的なイメージでくくってしまうのはあまりに勿体無いお話だろう。

「食」に限らず、意外とこの街に存在するいろんなものに対する見方っていうのは
一意的なコンセンサスができてることが多くて、それももっとバラバラだっていいと思うし。

幸いなことに、最近はいろんな雑誌やブログでも、それについて触れる記事を
見ることができるようになっていて、少しずつ「食」以外の部分についても認知され始めてるのは
とっても素敵なことだと思うし、今後もそういうものが多くなってくれると読者として私も嬉しい。

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