港式早餐 – 「食の都」香港に生まれてしまった罪なヤツ

最近の私といえば、毎朝「泰昌餅家」(青衣店)で
菠蘿飽とエッグタルトを買って、それを朝食としている。
毎日同じメニューであるから、私が並ぶだけで店員の方も
袋の中に菠蘿飽を入れ始めるようになってしまった。

香港ライフファイル」ー。もう自他ともに認める、
香港ローカル道を地でいくサイトである。
読者の面々にも並々ならぬディープで屈折した香港愛を感じる。

どこぞの香港ブログランキングを覗いてみると、
他のブロガーの方々がホテルのグルメレビュー、山の上の生活等、
華やかな話題を繰り広げるなか、書いてる私でさえ、
「香港ライフファイル」のローカル臭さは可哀想になってくる。

まぁ、それはいい。今後も路線変更の予定はなしだ。
問題は、そのサイトの運営者が実のところ、
最近ほとんど茶餐廳に寄り付いていないということである。

香港ローカルの食卓ともいえる場所にHKLFが行ってない。
TwitterやFacebookで見かける旅行者の方々の方が、
よっぽどB級グルメにどっぷり浸っているわけだ。

これはある意味、読者に対する裏切りではなかろうか。
というわけで、急遽その場しのぎ的に私は毎日菠蘿飽修行を
一人黙々と断行し、罪を償っていたわけである。

まさに誰得な苦行としか言い様がない。

久しぶりに食うと割とうまいじゃん


菠蘿飽。こんな美味かったっけ?久しぶりに食った感想である。
ただ、これは菠蘿飽が急に美味しくなったというよりも、
(香港の店で味が落ちることはあっても良くなることはほぼなかろう)
私の舌と視覚が香港ローカル化したと考えたほうが正しそうだ。

というのも、私が香港に来たばかりのころの話だが、
香港のローカルレストランで食べる朝食のまずさにだけは
どうにもこうにも対応できず、私は毎日のように朝食難民となっていた。

この菠蘿飽だって、はじめて食ったときには、
異常にポロポロ落ちる、メロンパンの出来損ないだと思ったし、
しきりに「外が脆くて中が軟らかいものが香港人は大好きなんだ」
と力説する香港人は「日本のメロンパンのが100倍うまい
でバッサリ切り捨てていたように思う。

食わず嫌いな私は港式早餐(西餐)にトライ


今思えば、香港の朝食といえば、それなりにオプションがあった。
別に茶餐廳にいって菠蘿飽を食べなくたって、
炒麺やお粥だっていいし、他にもうまい香港独自の朝食がある。

しかし、そのころの私といえば、香港超初心者なうえに、
性格的に食わず嫌いなわけで、そんな日本人が
ローカル色が濃厚に漂う中華系の朝食に手を出すわけがない。

となると、残るチョイスはいわゆる西餐(西洋系)の
港式早餐がメインになってしまう。
一見、不味く作るほうが難しいようなメニューばかりであるが、
これがまたどうしたわけか問題児だったのだ。

食の都だってのにさ


私はまったくもってグルメでもなんでもない。
そんな私ですら、この港式早餐とやらには突っ込みどころが満載である。

まず、玉子もぜんぜん玉子の味がしないし。
どうせ、街市で自動販売機から買ってきたどこの国からやってきたか
わかんない玉子だろうよ。ていうか、本当に玉子?

そして、ソーセージだってしょっぱいだけで全然美味しくない。
日本でそこらのスーパーで売ってる日本ハムのソーセージを
自分で買って炒めた方がよっぽど美味いじゃん。

食パンに挟まれているバターもなんかもう変色しきってて、
賞味期限なんか3年位過ぎてるんじゃないか。
そして、その凍檸茶、おばちゃんの指、めっちゃ浸かってるけど。

もうそんなことばっかが気になって、食事どころではなかったのを
今でもよーく覚えている。

しかも、目の前では香港人が朝っぱらから、私が学生時代に
しこたま食べた出前一丁を何故か美味そうにすすっているのである。
朝からそんな胃にもたれそうなもんよく食うわ。
そして、出前一丁の方が他の麺より高いってのはどういうことやねん。

朝からイライラとカオスが私の頭のなかに渦巻いていた

「食の都」香港の最難所


それから数年後、私はまったくもって問題なく、この港式早餐を
平らげるようになったし、むしろこのやる気のない朝食を
食べないことには一日が始まらないとすら感じることだってある。

香港は「食の都」とも形容されることが多いが、
昼と夜についてはまことにその通りであるし、
安全パイを選んでいけば、まず失敗することなく美食にありつける。

但し、意外な難所は朝食であることを知る人は少なかろう。
何のリサーチもなく、普通の日本人がそこらの茶餐廳で朝食を
とろうものなら、昨晩の夢のようなディナーも一瞬にして記憶の彼方。
香港への百年の恋も港式早餐ひとつで完全に醒めてしまう

香港迷のバロメーター


言い方をかえれば、旅行者もしくは香港在住者のローカル適応度
バロメーターをこの朝食に求めることができる。

まず、ちょっと香港を分かったひとであれば、おおよそ自分が
食べられる自信のない店は自然とコースから外すだろう。

それからさらにステップアップして、香港に対して病的な中毒性を
示す人たち(ここの読者もほぼこれだろう)になってくると、
行動が常軌を逸しているから、ひと目でわかるはずだ。

路地裏の茶餐廳でまったく美味しくなさそうな朝食に何かの魔法に
かかったようにムシャムシャとかぶり付いては恍惚の表情を見せるし、
ローカルすら頼まないメニューもテーブルに並ぶ。

さらに末期になってくると、あげくの果てにご丁寧に外賣までして帰国。
日本の食卓ですら港式早餐を再現しようとする執念まで見せる。

この私の仮説が正しいとすれば、だ。
最近、香港スタイルの朝ごはんが美味しく食べられるように
なってきたかも、というあなた。「危険信号」である。

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