笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣く

ずっと昔、初めて香港人の友達ができたときに
「この人はなんてわかりやすい人なんだろう」
「笑いたいときに元気に笑うし、文句があるときには血相を変えて怒るなぁ」
なんて風に思っていたのをよく覚えている。

私は今でこそ海外の人とお仕事をしているが、帰国子女でもなければ、海外留学をするような意識の高い学生でもなかったから、そう言う意味では海外の人や文化に接した時の新鮮さみたいなのは、普通の人並みには感じていた。
まぁ、簡単に言うとナイーブだったのである。

笑いたいときに笑って、怒りたいときに怒って、泣きたいときに泣く。
人間としては至極当然のことなのに、なんで新鮮だったのかなぁ。

羨ましくて、快適だった


あの頃の私の代弁をするならば、心の向くがままに生きてるような気がしてとっても羨ましかったのと、相手が何を考えているか分かりやすかったから居心地が良かったのかなと思う。
というのも、それまで主に日本人とのコミュニケーションに埋没していた私は、なんとも形容のし難い生きづらさに苦しんでいた。
なんせ相手の表情も、腹の底で思っていることと違うことも多いし、相手の言う通りに動いてもなぜか苦い顔もされる。
いわゆる行間を読むことや、忖度みたいなことがデフォルトでできるっていうのがこの世界を生きていく資格のように感じたし、それを自分があんまり上手にできないのではないか、という疑念も生まれていたから日々悶々ともしていた。

なんせ日本での時間が長かったし、今後どこか海外移住しようなんて毛頭考えたこともなかっただけに、そんな言語化されない暗黙のルールに縛られるのが当たり前な世界がどこまで行っても続いていくんだろうとも思っていた。これは大変だ。

そこに香港人が現れた


これは衝撃的だった。
笑顔が100%笑顔なのである。
その裏には何にもなくて、私は目の前にある笑顔をそのまま受け取り、ただただ楽しめば良かった。
この人の世界はなんてシンプルなんだろう。なんだか毎日楽しんで生きてるんだろうなぁと思わせるようなオーラがものすごく伝わってきた。
一緒に話していて、常に相手の心の底を読んでいかないといけない仕事のような作業から解放された。
今までの世界はなんだったんだ!ついに私は自分を受け入れてくれる世界を見つけた!大袈裟だけど、そのくらいに思ったのだ。

それから数年後、私は若気の至りという言葉以外で表現できないくらいの勢いで香港へと移り住む。
そこにいた人たちはやはり怒りたいときに怒って、怒りたいときにさらに怒って、笑いたいときには笑う人たちだった。
朝は異常にピリついていたり、職場でも大分力が抜けていたり、バスや電車の中ではおばちゃんたちが咆哮してたり、台風の前にはみんなで麻雀の準備して徹夜始めたり。そういう世界が嫌いな人たちに言わせるならば「動物園」さながらの光景が目の前で踊っていた。
正直に言うと、日本にいたときに思っていたそれより何十倍も生々しくて、思ってたより大分品がない世界線の上にはあったことには多少の驚きはあったけれど、兎にも角にも全員が思ったように生きようとしていて、より人間らしく毎日を送っていたので私はそれを見ながらいちいち嬉しくなっていた。
私たち日本人が香港に訪れたとき、えもいわれぬエネルギーを人々から感じるのはこのせいだと思った。抑圧されていないraw energyがみんなの心に宿っていた。

分かりやすい世界は生きやすかった

日本に帰ってきてから、私はまた非言語化が日常に溢れる世界に戻った。
分かっていたことではあるが、とってもやりにくかった。
ひとつだけ香港に行く前と変わっていたことは、自分の職場でのポジションが上がっていたのでその分だけ気を遣わねばならない量は少しだけ減っていたことぐらい。

こういう感覚ってみんなあるものだろうか。
人によっては、香港のようにどストレートなコミュニケーションや所作にデリカシーや品がないから嫌い、なんて思う人なんかもいるかもしれないし、いても全然良いんだけど。
ただ、私の場合は「日本で悶々と悩み続けていたとき」も「初めて香港人に出会ったとき」も「香港に飛んで行くように移住したとき」も、あの頃には自覚がなかったけれど、人よりそういう非言語化されたコミュニケーションを上手にできないASD(自閉スペクトラム症)的な特性があったから全ては起こるべくして起こったのだろうと思うし、実際に香港という世界を知れたことは本当に幸せなことであった。少なくともあの街では私も私の周りの人たちも普通でいられる。

ということで、なんだか日本が窮屈すぎて生きにくいかもと思う若者諸君、香港はどうかね?

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