田舎の子

私が香港から連れ帰り、やむない事情でおかんが面倒を見てくれたわんこがガンで亡くなった翌朝、動かなくなった、しかしまだ十分に暖かい大きな毛むくじゃらな物体の側でおとんとおかん、そして私はただただ悲嘆に暮れていた。
おかんがこの子の面倒を見たのは最後の数年ではあるけれど、本当に家族のように扱ってくれてわんこ自体もおかんにとても懐いていて、それは私が見てても少し嫉妬しちゃうくらいだったから、おかんの悲しみの深さも果てしないものだったろう。

そんな重く深い悲しみに無駄に広い田舎の家の居間が包まれていたときだった。
部屋の片隅の携帯に妻からのLINEが到着し、彼女の身体に新しい生命が宿ったことを我々は知る。
それまでどこにやったら良いか分からなかった悲しみと届かない感謝の気持ちが渦巻き、それらをうまく処理することができなくて、きっとこれから数ヶ月、いや数年ほどは何か生きていくのにとっても大事だったものが欠けてしまった感覚と時間が続くのだろうと思っていた私たちは、急にやってきたあまりに幸せな一報に疲れた顔で喜び、またなんだか全ての悲しみがとりあえず一旦収まってくれるようなある意味身勝手な解釈を持ってニュースを受け止めた。

きっとこれはあの子が私たちのために、悲しみすぎないように残してくれた贈り物なんだよね、どこまで行っても優しい子だね。と。

そういうあまりに出来たタイミングでこの世にやってきた私の子だから、祖父祖母たちの溺愛ぶりは見ていられない。
もともと、私はこの年になるまで子供なんぞいらん、とずっと言い張ってきた問題児だったし、まさかそんな私のところに子供がとは思っていただろうから、彼らにとっては奇跡に奇跡が重なっている。

ついでに言うなら、彼ら自体がど田舎の家に育ったいわゆる伝統的な長男長女であり、そこに生まれてしまった長男が私である。田舎の家庭にとってその家に子供ができるかどうか、しかも長男の家に。というのは都会の人には計り知れない、家にかかる重大な関心ごとであり、もはや子供を作ること自体が当たり前、作らない選択肢なんてあってないようなものというのが常識に近いといって差し支えないだろう。

なんせお家の存続に関わってしまう。先祖代々開墾し、家を建て、それを守ってきた歴史というものがあり、それを継ぐものがいないなどというのはあってはならない。自分たちが今日いるのもご先祖様がいたからだし、身の回りに良いことが起こるのも当然ながらそのおかげである。それくらい、彼らは先祖に感謝し、自分の代でそれが潰えることのないようにという使命感と願いとともに生きている。だから、ご先祖様たちに面目が立たないようなことを自分やその家族がするなんて滅相もないのである。
時代と共にそういうマインドも変わりつつある、という風にも聞くが、彼らのDNAにはしっかりとそして当然にそういうある種盲目的な人生観が刻まれている。少なくとも私の周りではそう感じる。

であるから、私も小さなころからあの手この手で子孫を作ることがなぜ素晴らしいかという話を散々聞かされて育ってきた。
私自身が捻くれた性格の持ち主であることも自覚していたし、先祖から脈々と語り継がれてきているであろう田舎の世界で一般的な親を敬う方法での親孝行もして来ていなかったから、議論は毎回まったくの平行線を辿ってしまったが。
自分のようなヤツが子供が生まれて、その親になるなんてまっぴらだったし、自分自身が人生を切り開いていくこと自体に十分に困難を感じていたから、そもそもこのような世間の荒波に半ば強制的に産み落とされる子供が果たして本当に幸せなのか、という思いが切実にそこにはあった。それは長らく変わることなく、なんなら今でも私はそう思いながら生きてしまっている。そんな交わることのない異宗教間対話を経験して来た親のもとに孫誕生の吉報が届いた。

彼らの歓喜のしようは本当に形容の仕方がわからない程だ。
私も中年に差し掛かるころには人並みに親孝行しようという気持ちもきちんと芽生え、会社で獲得した昇進のチャンスとともにいくばくか出て来た財力というもので親を喜ばせたり、驚かせようともしたし、安心すらさせようともした。それはそれで私なりに精一杯のことをしてきたつもりではあったのだったけれど、そんな頑張りの数々が文字通り比較できないほど、というか吹き飛んでしまってまるで無かったことになるくらいのスケール感で、全力で孫の誕生を讃美してしまっている。あぁ、なんで私はこんなことにも気づかず、老いゆく父母に一瞬でも早くこの喜びを届けてやらなかったのか。そうしたら、もっと元気に高く孫を抱いてもらえることもできただろうに。

そう思いながらも、私は考える。
それは近頃の閉塞感が充満した日本に子を持つ多くの親たちと同じものだ。この先、日本の経済が一気に好転することなんてありえない。国内でしっかり食べていける環境を獲得できるのか。やっぱり英語、いや中国語も学ばせた方が良いのだろうか。AIの台頭も著しい。そもそも人間の仕事なんていつまで残るものだろうか。
そう考えると、私の時代ですら生きていくのが大変だと思っているのに、子の時代の話などいよいよ持って想像がつかない。自分ですら5年後10年後どうなっているか分からないくらい変化が早く、不透明性の高い世の中である。自分のことなら笑って済ませられる性分だが、子のこととなると途端に心配になってきてしてしまう。

それに加えて、田舎特有の問題も存在する。
先祖から受け継いできた田や畑、山はどうする?家も補修が必要になってくるだろうし、お墓の世話という問題もある。土地や田畑を多く持つことがひとつのステータスとされた時代は田舎では終わっている。そんなものは売っても二束三文。というか、タダでも買い手がつくこと自体が幸せである。切っても切れない固定資産税と「あなたの山から木が倒れ込んでるからどうにかして」「畑が草ボーボーになってますよ」というクレーム処理が延々に続く、まさに負の遺産である。
それなのに、うちの家と来たら昔は庄屋をやっていたらしく、どこに山を持っているかもわからない程。

「どうにかしなきゃね。」
帰省時の食卓で本心かつ渾身の一言を放つも、反応は甚だ鈍い。
「そうね。でも、お父さんはこの家で育っているし、周りには昔の親戚のおじいちゃん、おばあちゃんたちが生きているから、そんな人たちが見ている中で家や田畑の処分は難しいのよ。そんな簡単なことじゃないのよ。私たちの世代ではね。」

そんなこと言われたって、私は転勤族の家に育ったから実家に住んだこともなければ、父の知らない山や畑の存在やその位置を香港の占い師たちからすでに聞いているというようなこともない。父母の世代では大きく動かせない、ということは私の世代では動かせるだろうから、どうにか考えろということらしいのだが、これは世紀の責任転嫁ではなかろうか。そんな中、私の子は男児として誕生、長男の長男の長男として、私と同じ宿命を背負っていくことが決まった。

そういういろんなことを考えていると、どう考えたって手放しに喜べるような人生ではない。私も息子も。
虚げな表情も多少見せる私の前で爺様も婆様も大歓喜している構図。子孫繁栄という動物としての本能、田舎の先祖に対する使命感。そういうものを達成できたという腫れ物が落ちたような状況の中、子育てや教育という責任を負わない、ただただ純粋に愛でるべき対象をそうあるべくして愛でている姿はやたらと晴れやか。
時代と世代はこうして交錯し、そして受け継がれていく。田舎の世代交代、マインドの転換は本当にやってくるのだろうか。
一旦、全部忘れて自分も歓喜の渦に身を投げ出すのもある意味正解なのかもしれない。

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