千葉はその豊かな自然で勝負すべし
香港から日本に戻ってきて数年、いい加減日本にも慣れてきたかと思った頃、せっかく母国に戻ってきたのだからどうにかこの国を堪能できないかと考えていた。10年以上もこの国から離れていたわけだから、感覚も半ば外国人。日本らしさを見て回るという日本人としてはごく当然に希求するであろう体験にちょっと飢えていたのである。
そこに奇しくもコロナとそれから派生した自粛期間がやってくる。
旅行をすることというより、自宅から出ること自体が難しくなり、私の日本再発見の試みはこうして逆に一歩遠のいた。
どこかに行くにしたって、電車やバス、飛行機に乗ること自体のリスクが高く、そうした行動をとること自体の自重を余儀なくされたのだ。
しばらくの間、自宅にて悶々としながら仕事と自粛生活をこなしたのち、私はひとつの自分なりの結論に辿り着く。
バイクだったら、いいんじゃない?
厳密にいうと県外への移動等も控えるべきだったのだろうが、コロナ蔓延からしばらくたって、世の中もそれなりの落ち着きを取り戻し始めていたころで、誰にも会わず一人外の空気を吸いながら旅行する分には迷惑も自分のリスクも最小限にできるのではないかと考えたわけだ。
そうと決まれば話は早かった。バイクの数もセロー250、スーパーカブ、ボンネビルT120と増えていき、週末をほとんどツーリングで過ごすようにして、ようやく日本の各所を巡るという目的を果たし始めたのだった。
前の記事でも書いたが、こういうハマったときのASDの人間はすごい行動力を発揮する。
東京からカブで飛騨高山や岡山なんかにも行ったし、長野や東北のツーリングの名所なんかはもちろん複数回訪れた。
まさに望んだ通りの日本を堪能する旅が見事に解禁された。
とはいえ、遠出ばかりしてらんない
日本の田舎は良い。とっても良い。とくに、長野なんて行くとどんなに都会で荒んだ心も洗われる思いである。
旅先で訪れる道の駅や、その土地ならではのグルメを巡るのも大変楽しい。
しかし、いつもいつも遠出ばかりしてはいられない。遠出は上記の楽しさの裏で、時間、お金と体力がみるみるうちに奪われてしまう。
現実問題として、たまに行くくらいでちょうど良くなってくるのである。
となると、ふたたび自宅で良い子しておくか、いわゆる近場で妥協するかの選択肢。
近場、ということなら首都圏、要するに神奈川、埼玉、千葉あたりでなんとか自分を満足させなければならない。
正直ここら辺になるといわゆるビーナスライン、伊豆、磐梯山や温泉を巡る旅ほどに心を踊らない。
しかし、そんな中でも頑張れば神奈川なら箱根、三浦半島に宮ヶ瀬という有名スポット、埼玉なら大自然あふれる秩父地方まで足を伸ばせばそれなりに気分転換できたような気持ちにもなれよう。なんなら、東京にだって奥多摩という秘境が存在している。
それに比べて千葉はどうだ。行っても何も得られるものがないではないか。
千葉にも自然がある。というか、思っていた何倍もある
ひらたく言うなら、千葉には家しかないと思っていた。
毎日ものすごい数の人間が東京へと働きに来て、疲れた顔で夕方また千葉に戻る。
正直そのイメージしかなく、あとはもうディズニーランドと成田空港があるかなという感じだ。
割とそういう人も少なくないのではないだろうか。
しかし、実際何も期待せずに足を運んでみると、東京湾を囲む沿岸部の都市群はなるほど自分の思っていたイメージほぼそのものであったが、少し海から離れるだけでまさに想像を絶する世界が視界に飛び込んでくる。
たとえば、いくつかの風景を写真で無造作に切り取って、これは私の実家の鳥取ですよ。そう言ったって、誰も疑わないだろう。
千葉の林道である。うちの実家でもなかなか見かけないくらいのマイナスイオンが溢れている。
都会からわずか一時間でこのような風景が延々と広がる場所が広がる。
猿や雉にも簡単に遭遇できるし、千葉の内陸部は想像の何倍ものどかで平和である。
「あれ、なんで私いままでわざわざ何時間もかけて秩父まで行ってた?」
それ以来、私は手軽なリフレッシュを求め、頻繁にその地を訪れるようになる。
自然あふれる養老渓谷や付近のキャンプ場、写真映えする小湊鐵道、家族連れも動物好きも満足できるマザー牧場、東京湾も太平洋側もカバーする釣り場も豊かだし、行く先々でいただく海鮮も美味である。こんなに異なるニーズを東京から一時間強のロケーションで満足させてくれる、それが千葉だったのである。船橋あたりの道が毎週末混雑するのも納得の人気ぶりだ。
先週末も千葉へ
歴史的街並みを楽しめる佐原。
コンパクトでありながらも、きちんと旅行客が小江戸の趣を感じて帰っていけるような、気の利いたおもてなしと保全状況の街である。
あの伊能忠敬の旧宅もその中心部にあるから、歴史好きなんかが尋ねても面白い場所である。
千葉は十分に差別化できている。余裕を持って勝負せよ
今もそうなのか知らないが、昔首都圏の民は、東京に次ぐブランドイメージを持つ県の座をかけて熾烈な争いをしていると聞いたことがある。あんまり道端でそんなことを叫びながら殴り合いの喧嘩をしている人を見たことがないから、首都圏民のDNAに刻まれた深層心理の部分の言語化されない水面下の争いなのかもしれないし、もはや私が香港に行っている間にある程度その序列に関する勝負がついていたのかもしれない。
しかしながら、個人的に思うに千葉というところは、そういう東京に次ぐとかいう軸で勝負する場所ではない。
その豊かな自然や「東京からの距離の割にえらくのどかな空気が流れているでしょ指数」みたいな、手軽な田舎的コスパでその魅力を発信していくべきであり、そう言う意味でのポテンシャルは青天井なのである。
職場にも、市原に実家を持つ人がいて、よく実家に帰っているという話を聞く。
私が実家の田舎のゆっくり流れる時間を味わうために飛行機にのって半日かけて帰ると言うのに、彼女は電車で一時間で同じ経験ができるのである。こんな不公平で素敵なことがあるであろうか。
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