発達に障害がある人が働くということ 1

最近、フワちゃんが世の中を賑わせている。発達障害だそうな。
何回聞いてもこの発達障害という言葉の破壊力には面食らうばかりだが、
彼女の場合はいわゆるADHD(注意欠陥多動性障害)らしい。
ひとことに発達障害と言ってもいろいろあるのだ。一緒にしてはならない。
ちなみに、私はASD(自閉スペクトラム症、ひと昔はアスペルガーと呼ばれていた)という種別。
とは言っても、結構複合的な症状を持っている場合も多く、私もASDの特性を主に持ちつつ、ADHDの要素も多少はらんでいるという奇特なパターンだ。

そんなヤツが社会でのさばってていいのか


そもそも発達に障害があるようなやつが普通に暮らしてていいのか、ていうか暮らせるのかと思うかもしれないが、実は割と普通に我らはそこいらを歩いている。
発達障害という症状自体の認知度が最近上がったばかりだから、今までその診断がつかずに社会でちょっと変わり者やなというカテゴリに括られてお終いと言う扱いをされた方々が街を彷徨っていたのではないかと思う。
そして、意外にもASDの有名人っていうだけでも、スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスクなんかも該当するらしく、発達に障害があるやつらは普通に生きてるどころか、うまくその才能が開花した場合は活躍するというような事態すら起こってしまっている。

かくいう私もなんだかんだで仕事場では経営層の人間である。
おそらく内情を知らない人から見れば、それなりに仕事をこなしているように見えるかもしれないが、つい最近までASDであるという答えを持たず、見えない生きづらさと闘ってきた身としては、定型発達の方々と同じように物事をこなす擬態という尋常ならぬ努力をしつつだったりするので、見た目以上に疲れ果てる毎日である。

そんなASDの人間の見る経営活動もなかなか数は多くないだろうからここに書いてみたい。

ASDが経営に向いてるというのはある意味当たりでもある


我々は過集中と呼ばれるほどハマるものにはハマるので、幸運にもその対象が仕事に該当した場合はとことんやりきる力を持っているし(しばしばどうでもいいことに夢中になったりするが・・・)、社会になんだかんだ適合できるチャンスが大きい。
割と仕事は仕事と割り切って感情を排除しつつ、決めたことをやりきってしまう性質もあるから、経営という分野とは少し相性が良い部分もあるのかもしれない。それが極まった例が、上述のスティーブ・ジョブズであり、イーロン・マスクなのだろう。もちろん、それは「相手の感情が読みにくい」だったり「白黒思考をしがち」という一般的なASDの弱い部分と言われる部分がたまたま経営判断が必要とされるシーンで前向きに出てるだけなので、そういうポジションにつけるところまで行き着くか、が鬼門である。
それに到達するまでに仕事にハマるほど興味が持てなかったり、周りとの思考パターンとの違いや不和が多くなると自他共に疲弊し、変わってる人扱いされていくのではないだろうか。私も20代あたりは良い思い出がほとんどない。

香港という伸び伸び生きられる世界に飛び、外資企業で働いているからなんとかやれてるが、日本企業では絶対に芽が出なかった自信すらある。

コミュニケーションがとにかく苦手である


会社の経営をしていると、どう考えてもコネクション作りをしなければならない、というごく当然の課題にぶちあたる。
しかし、これがどうにもこうにも苦手である。理由は掃いて捨てるほどあるが、たとえば次のようなもの。
まず、一般的な商談であるなら特段の苦手意識はない。というか、ときに饒舌に人より話せてしまうことすらある。ビジネスにはある程度の作法があり、戦略があり、何をやった方が良いというおおよその正攻法というものが存在している。要するに答えみたいなものがある程度常識化しているのだ。
しかし、接待だったり、会食というものになると話は全く別で、雑談という時間をこなさなければならない。
これが我々にとって、問題である。なんせ雑談には答えがない。意味もない。意味がないものに我々は興味を持てないし、時間を使うことがとても不可解で、ただただしんどいのだ。
そのうえ、我々は会話をしている間に相手の心情やその場の空気が読めなくなり、頑張れば頑張るほど失言する。
これで失敗したことも多いから、ある意味皆が楽しく気軽に話している場でこそ一人緊張していたりする悲しい時間を過ごす。

こうした失敗がビジネスでもプライベートでも蓄積されていくので、人とのつながりに消費するエネルギーと失敗リスクのことを考えるようになり、どんどん交友関係が縮小していったり、関係をリセットするようになったりする。

居酒屋がヤバイ


みんな大好き居酒屋。ビジネスの場でも社内外でよく使われる。
が、私にとっては好きどころか、ある種恐怖をもたらす場所でもある。雰囲気自体は好きではあるのだけど。
上記の通り、そもそも雑談が苦手という事実が根底にある上に、私はAPD(聴覚情報処理障害)という特性まで授かってしまっている。
周りが騒がしいと、相手の声が聞こえない。何を当たり前のことを、と思っているかもしれないが、どんなに集中して耳を傾けても聞こえないのである。(皆さんは注意深く聞けば、なんとか選択して相手の声をかすかに聞き取ることができるはず)ゆえに居酒屋で相手に話されても私は応答できない。
おまけに酒もまったく飲めないというお墨付きである。
日本のサラリーマンが持つべきコミュニケーションスキルが悲しいほどに皆無な人間なのだ。

もちろん、仕事なので断らない方がよいときもあるし、そもそも選択の余地がないことも多いのだが、今の若者が飲み会はな〜っていうレベル感の何倍もの感覚で実は私も飲み会か・・・と心の中でうなだれている。せめて静かな料亭にしてほしい。
経営として必要なコネクション作りはありえないほど苦手なのである。顔には出さないけれど。

ここまでで既に結構絶望的な生活を送っている感が出てしまっているが、また続きをいつか書く。

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