発達障害と集中力

こうやって記事を書こうとはしているのだけど、当事者として自分の特性の分析に関してはまだまだ途上の部分が多くあって、文書化するために自分自身を整理するためにも書いておく。発達障害と集中力について。

まず大前提としては、私はASD(自閉スペクトラム症)がについて主に困難を感じておりながら、ところどころADHD(注意欠如多動症)の特性も併せ持つ人間だと思っているが、当然ながらその特性の強さや偏り、困難の感じ方は人それぞれである。

偏る長期的な集中力

基本的に私はなにかにハマっている。
人生の中で何かに時間とお金を注いでいなかった時間というのがあまり見たらない。
対象が学業や仕事のみだったら、今頃博士ややり手のコンサルなんかになってて財をなしていたことと思うが、残念ながらハマることといったら、大抵時間とお金を浪費させられるものばかりである。たとえば、ゲームだったり、乗り物だったり、釣りだったり。そういう何の足しにもならないものの方が圧倒的に多い。

一旦、そういったものにハマっていくと、とことん時間を割いていく上に許す限りお金も使っていく。いわゆるASDのひとつの特性である「過集中」というやつなのではないだろうか。寝たり食べたりする間も惜しんでやったり、他にやることがあるのにそれをやる。側から見れば、他にもっとやることあるんじゃない?というか、そればかりでつまんなくないの?なんて思われているだろうし、自分でもそう思う。
結構食べ物とかにも当てはまって、何かが美味しいと感じるとそればかり毎日食べるようになって、終いに飽きる。そして、その後は数年単位でそれから遠ざかる。

よくいえば、集中力が非常に高い状態でその学習曲線の効率性は定型発達の人に比べるとかなり高いはず。しかし、当然ながらその一方で他のことは犠牲になっていくので、一点集中型で何かを極めていくことが多い。
対象が仕事や勉学のコア部分であったり、その周辺知識にハマった時は、社会への適合もうまくいくことが多く、逆にいわゆる社会から評価される物差しからから外れた部分にのめり込んだ時間が長く続くと、人生を浪費していると言う他に形容のしようがなく、社会からの覚えも当然芳しくない。

何事もほどほどに、とは言うがそういうバランスの良い人生の送り方ができるという点では定型発達の方々はリスクはコントロールしやすいが、一点突破型のASD特性の持ち主たちはそのブレイクポイントがどこに発生するかというギャンブルを抱える(超)ハイリスクハイリターン型の人生を送っているのではないだろうか。

ちなみに、こうした過集中という現象もなかなか上手にいかない人間関係やしなくて良い余計な心配からくる悩みに対する回避行動、つまり束の間の現実逃避から発生しているかもしれないところが問題をさらに厄介なものにしている。

続かない短期集中力

人生を送っていると、好きなことや自分の関心のあること、ハマっていることばかりをやれるという日はなかなかやってこない。
そう言う意味では、何かをやらなければいけない、やらされるという状況の発生頻度は非常に高く、それは定型発達であろうが発達障害の当事者であろうと関係なくこなしていかねばならないわけである。

身近なもので言うならば、仕事が代表的なものになるだろう。(学生さんなら勉強だ)
私のようなものにとって、十分に自分ごと化できてそれに打ち込めるというものについては高パフォーマンスを発揮するものの、そうでないものは集中力の継続が非常に困難である。気がついたら他のことを考えてしまっていて、いかんいかんと仕事に戻ってくる。なので、定型発達の方が90%くらいの集中力で8時間、定時で終わらせるものを私の場合は60%の集中力で12時間でやっていたりすることはザラ。コロナ後に自宅勤務日も設定されるようになってからは、集中が途切れやすい環境も手伝って、そういうシーンが多くなってしまったように思う。

ただ、それにも良いことと悪いことがあって、まず良いこととしては何だかんだ仕事のことはいつも頭の片隅にはあって、他のこともしつつダラダラ考えることは考えるので、いつかのタイミングでなかなか優秀なひらめきがやって来て、割と完成度の高い成果をまとめられること。そして、悪いことは当然ながら時間の効率がとても悪いことと、起きている間中いつも仕事のことをが頭にあるのでストレスから完全に解放される瞬間がないということである。残念なほどにデメリットの方が大きい。

常に大掃除のときの寄り道をしている感じ

この感じをなんと伝えたらいいのかわからないのだけど、大掃除や引越しの準備をしているときによくある「昔しまって忘れてしまっていたものが急に出て来てしばらくそれに心と時間を奪われる」状態が頻繁に発生している状態とでもいえば伝わるのだろうか。(掃除や引越し準備としての時間効率はとても悪いでしょ?)
そういうのをもうちょっとコントロールする術があれば良いのだけれど、今はまだ模索中。
本を読むのもまったく一緒で、数行読んでいるとすぐに他のことを考えている。目だけは活字を追っているんだけど。
これには私も本当に困って(勉強にも仕事にも何にするにも読むことは大事だし)、「自分はディスレクシア(読字障害)でもあるのかしら」と調べ物をしたこともあるけれど、今の所の結論としては リーキーアテンション というものではないか、ということで落ち着いている。

何にするにしても加減というものが極端であり、それが故に社会(定型発達の集団)からは異質なものに映りやすいのが発達障害であり、社会で評価されるものに極端にコミットできたときに出現するのが天才と呼ばれる経営者たちであろう。もちろん、後者はレア中のレアであり、大部分は自分たちのコントロールできない特性と社会の当たり前や常識との間で悩みながら生活しているのが現実というものである。

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