機能しない方程式

最初に断っておくが、今回の記事は女性が読んだら大分気を悪くすると言うか、つっこみどころがあちらこちらなのだろうけれども、そこはもう男性脳がどうなってるか(ていうか、私の変わった個人的な見解かも)っていうのを書いてるだけなので、まぁ大目に見てもう読んでらんない、と思ったところでそっとページを閉じてほしい。だって、本能的にやっぱり考えてること、違うんだもの。

なにを書くかって育児にまつわる夫婦について。

自分は仕事をしている


いきなりすごいツッコミをされそうだけども、割と男性はこれを考えたことがあるんじゃないだろうか。
1. 男女平等を自分も尊重したい。であるならば、男も女もタスク量は平等である
2. 自分は仕事をしていて忙しいし、ストレスも受けている
3. 故に次の方程式(自分 : 仕事 + 家事・育児残りの和 = 奥さん : 家事・育児の量 である状態が理想の夫婦)が成り立つ、と考える
まぁ、ある意味正しいのではないだろうか。頭で考える分には割とまともなことを言ってるようである。

どうでもいいのである、あんたのことは


とまで書くと言い過ぎだし、奥さんたちもそこまで本気で思っていないのであろうが(超希望的観測)、時間と余裕がなさすぎるのと本能的なものも相まって妊娠期、出産後は女性にとって子供のプライオリティが超絶高い状態なのである。
相対的に旦那の身の回りのことまで聞くキャパがないし、聞いたからとしてその情報をうまく処理するほどのゆとりもない。
仕事でとんでもない人間関係に巻き込まれていようと、リストラの魔の手が迫っていようと、帰り道に一駅歩いて帰ってみたんだよって話をしたかったとしても、「あ、そう。うーん、でね、今日の離乳食はシラスでね、とっても苦そうに食べてたのよ。頑張って準備したのに。」とすべての情報は一瞬にして蒸発し、気がついたら子供の話をしている。
前段の方程式の仕事量や受けてるストレスの話なんて、当然ながらまったく咀嚼されるような気配がない。

要するに、奥さんにとって私は仕事をしてると思うのだけど、多分仕事のことで死ぬわけではない人だろう存在なのである。
すでに私の方程式には崩壊の足音が聞こえ始めている。

私だって一応不安はなかったわけではない

世の中、割と多くの人が育児をしているし、先人たちもそうだったようである。
しかし、私はずっと一抹の不安を感じていた。なんせ、人間を育てるのである。どんだけの大事業なのであろうか。
ひとつ育て方を間違うだけで、事故に遭ったり、私のように頭のおかしい子が育ってしまう大きなリスクを孕んだ危ない賭けにしか思えなかった。
そこで、母親にその不安を打ち明けたのである。「よく人間なんて産もうと思ったね」って。
そうしたら、彼女は私にこう答えた。
「みんなやってることだから、どうにかなるわよ。」「適当にやってても、育つように育つから、心配いらないのよ。」
このような言葉だったと思う。

私は安心した。バカだった。

おそらく女性と男性の育児に求めるクオリティ、というか危機意識はとんでもなく違う。
母の言葉を胸に、適当にやっててもとまでは言わないが、多少ミスをしたり、こちらの都合で完全なケアができなくても死にはしないだろう的レベルは折り込み済みでやろうと思っていた私の前に、細部に渡るまで子供の健康と健やかな発育を考えた綿密なプランを練りに練った妻が立ちはだかる。

もうここは本能的なものを感じざるをえない。どれだけ気を回しても常に先回りされている感じで勉強も情報も量がハンパなく、子供を守るという気持ちの強さが圧倒的である。

たまに「言われる前に自分で考えて動いて欲しいよね、男って」と仰っておられる奥様方もおられるのを私は知っていた。
と同時に、自分はそうなるまい、だって頑張るんだもん。そんな風に軽い気持ちで思っていた。
あの頃の私をマジで呪ってやりたい。

方程式とか言ってる場合ではない

女性にとって、もう方程式とかどうでもいいのである。
そういう頭ではなんとなく理解できるようなことを腹落ちするまで咀嚼をする時間もないし、現実はそんなことやってる間に次々にやらなければならないことが起こって、頭の中は常にパニックなのである。これはある意味戦争状態のようなものである。戦争している人の横で、「今日はさ、上司が休日だって言うのに電話してきてさ」とか言ったって無意味である。戦争に休日はない。

無論、いまでも「今、この瞬間平等なの・・・か・・・?」と不謹慎にも思ってしまう私がいることも事実である。
仕事を一生懸命して家庭を守る、お金を稼ぎ続けるということだって、当たり前のことではない。それを維持するために割と毎日人知れず努力しているものである。そこそこ過酷なのだ。

だが、もう世界は理屈でまわってないのである。
結婚して、二人のときのように、「ふんふん、なるほどね。そういう考え方で、ここは我慢できるところで、今後はこうしていきたいと思ってるのね」みたいな論理的に話し合って理解し合うみたいな瞬間は体感的にものすごく減る。
至極本能的で、かつ毎日のタスクをいかにこなしていくかのみに集中し、その他のことはすべて low priority にセットされている。

幸せになる方法

きっと出来の良い旦那さんであれば、奥さんと同レベルの愛と危機意識と体力を持って、文字通りイコールな育児をするのが理想であろう。めでたく夫婦円満である。しかし、私のように少し出来の悪い人間はなかなかそうもいかない。前述したように、奥さんの方が常に先回りしていて、気が利いてる、と思ってもらえるチャンスなんてそうそうない。(一応断っておくが、私も息子のことは大好きで心から愛している)

そんなたびたび奥さんをイライラさせてきた私が、度重なる短時間の会話やちょっとした喧嘩の中で得た答え。

自分の時間を持たせてあげるようにすること。

たったそれだけ?なんて思われるかもしれないが、私の場合はそれが今の所の最適解であるように思う。
常にやることに溢れていて、女性はほとんど自分の時間がとれない。これがうちの場合はかなりのストレスだったらしい。
なんだかんだで、自分の求めるクオリティでやりたいみたいなところもあるので、私が作れる時間なんてたかだか知れてるのだが、「寝かしつけやろうか?」とか「見とくから髪切りいったら?」とか「児童館連れて行くからちょっと休んでなよ」的な言葉たちをこちらからかけるだけでも、家庭の空気はガラリと変わる。

長くなったが、結論としては方程式は意味をなさない。論理は捨てよ。そんな暇があれば動け、である。

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