息子を溺愛するすべての父親へ捧ぐ
一年前、病院の先生は聞いてもない私たちの前でいきなりこう言い放った。
「性別、知りたいですか?あとで伝えますね。この子はわかりやすいですね〜♫」
いや、それ答え言ってるやん。
そんなどうでも良いツッコミも入れつつ、前触れもなくいきなり降って湧いた性別のお告げ、しかも自身が強く希望していた女の子でなく、男の子が半年後に生まれてくるということを知り、私は深く落胆した。
「え、俺、子供のこと、愛せるかな?」
結構本気でそう思ったことを覚えている。なんせ、それはそれは可愛らしい女の子が生まれてくると信じて疑っていなかったし、名前だって女の子のものしか用意していなかった。
その後、「もしかしたらあの時は見間違いだったのでは」という淡い期待とともに何度か産婦人科に通ったが、その度に「ほーら、ここをみてください、立派なものがついていますね」という先生の陽気な笑顔とともに、残酷な確認作業だけが何度も無情に行われたのだった。
見事なまでの手のひら返し
時が経つにつれ、私は男の子が生まれてくる、という事実を次第に受け入れ始め… ということもなく、そのまま出産日を迎える。
当たり前だが、ちゃんと男の子が産まれてきて、私もひとまず健康に産まれてきたことに感謝し、我が子を抱きかかえた。
そうして父親に望まれていなかった男の子はすぐに母乳にありつき、次の日からスクスクと育ちはじめる。
産まれてきた時には男も女もなかったような出立ちだったそれだが、徐々にやんちゃな男の子の顔つきと行動を見せ始める。
そして、私は気づいてしまった。そのどこまでも単純でおバカな物体を自分自身が知らず知らず愛でに愛でまくっていることに。
そうして遅れて始まった私の爆発的な息子愛は今ではこうまで言っている。
「お母ちゃんにはまけへんぞ」
物理的に無理である。相手は母乳という最終兵器を装備した母親である。
父親がどんなに逆立ちしたって、勝ち目はない。
しかし、私は悪あがきを続ける。負けたくないんや。(ASD特有のしつこさと根拠のない継続力は私の数少ない取り柄だ)
そんな私を後押しするアイテムたちを紹介したい。どれもこれも、父親になるまでその価値に気づくことのなかった神器ばかりである。
バウンサー
よく見るゆーらゆらしてるだけの椅子みたいなベッドみたいなよくわからん固定器具である。
子供を持つまではそんな揺らして何が楽しいんや、くらいにしか思ってなかったが、これが全世界のパパママ必須の超神アイテムだったとはまったく思いもよらなかった。
「寝かしつけ」という我々親に課せられた苦行でしかない行為の大きな大きな助けになってくれるのだ。
私は頭の出来があまり良くないから、赤ちゃんはいつもスヤスヤ寝てるもんだと思っていた。とんでもない勘違いである。
やつらと来たら、ひどい時は半日くらいこの「寝かしつけ」という作業の強要をしているんじゃないかと思うくらいに睡眠と遠い存在だった。
ところが、このバウンサーとやらでゆらゆらさせてると、結構な確率でスヤーしてくれ、寝た後の覚醒についてもわずかなものなら抑え込めてもしまうのだから驚きである。もちろん、その成功確率は100%ではないのだが、確実に我々の負担を軽減してくれている。
文字通りバウンサーがなかったら、私は今ごろ過労死に近いところまで追い込まれていたに違いない。命の恩人。そういうレベル。
私の揺らすバウンサーで寝る息子。可愛すぎる。
ただ、どう考えてもこれだけでは私が勝ててるなんて言えない。どう考えてもお母ちゃんの腕の中の方が安心した顔をしている。ぐぬぬ。
抱っこ紐
Ergobaby エルゴベビー EBC OMNI Breeze
子供が生まれる前に抱っこ紐の物色をしに赤ちゃん本舗へと赴き、「え、5kgってこんな重いの?」までやるのは新米パパの恒例行事。抱っこ紐売り場のおばちゃんは、そんなシーンを今まで何万回も見ているから極めて冷淡に、そして事務的に抱っこ紐を売りつけてくる。
抱っこ紐というくらいだから、素直に抱っこを楽にできる紐である。
しかしまぁ、これで前向きに抱っこさせて息子が手足バタバタしながら散歩を楽しむ姿は見ていて微笑ましい以外形容ができない。
この抱っこ紐だが、ありがたいことに他の本業以外のいろんなところでも活躍する。
あの悪名高い「寝かしつけ」という作業をしているとどうしても両手が空かないわけで、我々はそれ以外のことをまったくできなくなる。ずっと錘をつけながらスクワットしている状態が続く。時だけが無情に過ぎていく。子供の目はランランし続ける。
そこでこの抱っこ紐である。
まさに二宮金次郎がごとく、赤子を抱っこしながら仕事したり、本を読んだりできるのである。しかも、家庭のリビングで。
子供を持たない人から見たら本当にどうでも良いことだと思うが、当事者にとってはこういうことがいちいち革新的に映る。
さらに、そういうフェーズを経たとしても、どうしても「寝かしつけ」に成功しないときはこれをつけたまま、近所を徘徊すると眠りに落ちてくれるのである。すやーっと。
たまに近所をベビーカーや抱っこ紐で夜中に徘徊している人を見るが、事情がわかるようになってからというもの、すれ違うたびに心の中で彼女たちを「同志」と呼び、労いの言葉をかけている。
しかし、いつも徘徊ルートの帰り道の「あぁ、ダメか。寝なかった〜」と家の近くに着いてからようやく寝始めるの何なん?
きらきら ぴかぴか
表紙も中身もえらくギラギラした本。奥さんが買ってきたものだが、最初見た時に気が狂ったのかと思った。
一歳にもなってない赤ちゃんなんだから、本など読んでも理解しないだろう。
そんな風にバカにしてまっていたが、うちの子はありえないほど激しい反応を見せた。
今や「きらきら ぴかぴかぁ〜」ってつぶやくだけで、手に持ってるおもちゃを投げ出してこっちに突進してくるほどだ。
私が執念を燃やす、お母ちゃんに勝つという目的を達成するために読書の時間は非常に重要。
唯一、私が明確に差別化戦略を取れる時間なのである。
たった一行、二行の短いセンテンスを渾身の力で読み上げる。
こんなに心のこもったプレゼン、仕事でもやったことがない。本を読み聞かせることに関しては(特に迫力)、絶対に負けていない自信がある。
そんなこんなで、涙ぐましいお母ちゃんに対する対抗策を模索する私に幸あれ。
この記事へのコメントはありません。