大牌檔の夜

夜が更けていけばいくほど賑わいを見せるこの街が
底抜けの明るさと開放感で満ち満ちる金曜の夜更けー。
蘭桂坊にも、諾士佛台にも決して負けない熱気の中に私はいた。

新界は火炭。
駅前には倉庫が立ち並ぶ、そんなちょっと市街地を離れた場所。
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ほったて小屋の中から漏れてくるのは、やや薄暗い明かりと
忙しく働くキッチンの様子、そして絶えることなく聞こえる人々の笑い声。

大牌檔。
廟街の観光スポット的なものとはまた全く違った表情を持つ、いわゆるどローカルなそれ。
当然ながら、こんなところまでやってくる観光客もあんまりいないから
一週間の仕事を終えて集まってきた香港人ばかりで店内は大賑わい。

まるで一番賑やかなテーブルであることをお互い競い合っているかのような
ちょっとタガが外れた具合の盛り上がりを見せており、
彼らと同じ時間を共有しているだけでこちらまで元気になってくる、
そんなありがたい空気が流れている。

金曜の夜という時間をただただ純粋に満喫する目的のもとに創造されたのではないか?
そう思ってしまうくらいに熱気あふれるパワースポットにおいて
私は初めてお会いする日本人とテーブルをともにしていた。

面識がないのであるから、もうちょっとスマートな場所を用意してもよかったかもしれない。
が、出会いのきっかけがこの「香港ライフファイル」でもあるわけであるし、
そういう前提においてはなんとなくいきなり大牌檔でも許されるような気もしていた。
そして、ただ単純に私がお気に入りであるこの泰源大牌檔で金曜夜を過ごしたかった。

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盛り上がりがピークに達する店内の中では、たとえ大声で話したとしても
お互いに何を喋っているのかよく聞こえない。
失敗したかもなぁ・・・。私は思った。
店内は声帯からリミッターが取り外され、どれだけでも大きな声で
延々と喋り続けることができる香港人のために設計された、
まさに香港人の、香港人による、香港人のための施設であった。

しかし、そんな決して順調とは言えない会話を続けるうちに、私は別の何かについて考え始める。
さっきから少し会話のキャッチボールがどうにも順調にいかないのは
この騒々しい店内のせいだけではないないような気がするのである。
相手の球の出どころも見えないし、どうもこちらが構えているミットとはまったく
違う方向に向かって、随分自由に気軽に球を放ってくる感じがするのだ。

参考までにお話すると、この図らずも一度たりとも足を踏み入れたことのない火炭なんて場所で、
私というヤツとテーブルをシェアすることになってしまった不運な方であるが、
明らかに場違いというか、抜群のバックグラウンドを持つ方であるようである。

いわゆる私なんかより遥かに頭の回転が良い方だということになるのだが、
会話がいまいち上手くいかないという、ややボヤッとした私の違和感。
おそらくその理由の半分、もしくはそれ以上が私の頭が追いついていない、
というところにあるのかもしれない。
生まれ持った才能というヤツを考えれば、仕方のないことだった。

ところが、この違和感、最近どこかで同じように感じたことがあるのである。
目の前の青島ビールと向かい合いながら考えるうちに、ひとりの男の顔が浮かぶ。
それは最近私のチームにやってきたスタッフだった。

精確にいうなら、やってきたというよりも、他のチームから追い出されてきたと言ったほうが正しい。
まったく仕事ができない、というレッテルを東京オフィスの全員から満場一致で貼られる、
というある意味金字塔とも言える偉業を成し遂げた後、
マネジメントが「最後の受け皿」、一方で東京は「解雇ボタンを押す男」として
期待を集める私のもとへと送られてきたのである。

やってきて早々に話をしてみれば、なるほど東京の気持ちも分からんでもない。
こちらが話すことはことごとく読み違えてくれるし、
一旦話し始めればどこに着地を定めるでもない事象の数々を止めどなく語る。
話は時に核心に触れるが、その際も極めてストレートフォワードであり、
相手の感情を刺激する表現の数々についても当人はいたって無垢で善意なのである。

いわゆる天才肌、というか感覚で生きている。
会社勤めすることの基盤でもある、一定の常識的なマインドセットやコンセンサス。
彼らはきっとそういう世俗的なものとは一線と画するところから
自由に発想する人たちなのであり、そういう世の中のルールからの呪縛が存在しない。

裏を返して常識に基づいて生きている人たちから見れば、
言ったことを理解してくれないし、思った通りの回答をくれない、居心地の悪い人でもあり、
それに仕事という強制的に効率を要求される環境が加われば
究極的に都合の悪い存在なのである。

そういうわけで、東京からは完全疎外というか、随分と嫌われてしまっている
彼ではあるが、個人的にはとても好意的に見えてしまっている。
もちろん、現状あんまり使い物になるとはお世辞には言えないけれど、
部分部分を細かく見れば、やはりキラッと光るものがあるような気はする。

そして、何より彼自身がまったく悪意なく生活しているわけであり、
「嫌われていること」には気づいていても「何故嫌われているのか」については
ほとんど手掛かりなく、思い切り傷ついてしまっているようであり、
面倒くさいことに私はこういう癖というか、人間らしい不器用さがある人が好きなのである。

「この人が香港にいたら、もう少し楽だったかもなぁ。」とも思う。
もちろん、日本にだって寛容な会社はあると思うし、
香港のすべての会社が緩いというわけでもないけれど、
こちらの方がもうちょっとダイバーシティについての理解が深くて、
というか、他人に関心が低くて、常識や既存のプロセスを盾に
目くじら立てる人に怯えることなく、才能を発揮できるような気がするのである。

そうして、金曜の夜にでもなれば、こうして一緒に大牌檔で大騒ぎできれば。
やたらにメランコリックな雰囲気に満ちた彼の人生においても
やっと居場所っていうものが出来るんじゃなかろうか、なんて老婆心を募らせるのである。

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