Fly to Hong Kong

ツイッターにも書いたけれど、香港航空の機内食にはハーゲンダッツのように
高貴なものなど一切出てこない。代わりにうちの近くのスーパーで3つでHK$12と
格安販売されている、やや残念な豆腐花がデザートとして出てくるし、
他のメニューについても「着くまでちょっと我慢して、現地で軽く食べたほうが・・・」
と思わずにいられない、あくまでも空腹を満たすためだけに設計された代物が出てくる。

しかも、私が乗った便といえば、おそらく客室のおおよそ95%以上を
東京、大阪に飽きたらず、日本中を踏破することに生きがいを感じる
マニアックな香港人とその家族が取得することを目標として企画されたローカル線。
機内のアナウンスに日本語もなければ、空港から搭乗を待っている時から
すでに香港にいるかのような空気が色濃くながれる、
まさに香港の航空会社による、香港人のためのフライトなのである。

完全プライベートの帰省中の私はそういう自分の国のとあるローカル空港に
香港人たちのホーム的な雰囲気がすっかり出来上がってしまっているという事実に
何だかいち早く香港に戻ったような安心感も感じていたし、
一方ではまだ物理的には日本への帰国中なのに・・・、といった具合の
空港内の誰にも共感してもらうことも出来ないであろう、居心地の悪さも感じていた。

いずれにせよ、母国から普段住み慣れた国へのフライトである。
いわゆる「旅行」と呼ばれるような性質を持つ移動ではないわけだし、
さすがに乗った数も随分多くなってきていたから、
先の居心地の悪さも手伝って、空港の景色は随分つまらないものとして映っていた。

搭乗ゲートの前で私はひたすら待った。
東京や大阪だったら、時間を潰すことも出来ただろうに、
こんなローカル空港にあろうことか2時間も前に到着してしまった。
それでいて、周りはほぼ全員が香港人。
まるで自宅のリビングにいるかのようなリラックスしきった表情で
早々に旅の思い出話に花を咲かせ始める彼らの声は静かな建物の中でよく通る。

これだから、香港人は・・・。

思わずそう呟きそうになった私の目の前に、突然一人の女性が座る。
日本人女性。私がこの搭乗口で初めて見た日本人である。
やや小柄で色白。おそらく20代後半といったところであろうか。

主張し過ぎない落ち着いた服装、品の良いアクセサリ。
それでいて旅行に出かけるための機能性とリラックスした雰囲気も感じられる。
要するに必要な分だけ垢抜けているのだ。
こういう格好は残念ながら港女の人たちはなかなか出来ない。

ひとり暇を持て余していた私は、この日本のローカルな空港から
同じくひとり香港へと旅立つ女性について勝手にいろいろ考えを巡らせ始める。

随分涼しげで、落ち着いた表情をしているから、きっと香港は初めてじゃない。
出張?それにしては、服装がカジュアルに過ぎるし、そういった緊張感もない。
私と同じく、何らかの理由で香港に住んでいるのだろうか。

依然として、搭乗ゲートの前でハッキリ日本人と分かるのは、彼女と私だけ。
(私も、周りからみたら香港人なみにリラックスしてたはずだが)
定刻通りにゲートは開いた。

機内で彼女がどこにいたのか、私には良くわからない。
さすがに3時間を超えるフライト中、名前も知らない女性のことを
考え続けるほど私も暇ではなかったし、
デザートで出てきた豆腐花の庶民的な美味しさに感動してみたり、
香港航空のLCCに片足突っ込んだ経営スタイルの潔さについて考察したり、
そういうあんまり人生にとって得にならないことに時間を好きに使っていたのだと思う。

香港國際機場。私はこの空港が大好きである。
自分のホーム空港と呼べるほどに愛着が持てる空港はここをおいて他にない。
飛行機がランディングするや否や、「ただいま。」私は呟く。
目をつぶっていたって、出口まで辿り着ける、といったら嘘になるだろうが、
ここまでくればもう家に帰ったようなものである。

200番台という香港航空のために用意されたと言っても過言でない、
隔離ゲートに降ろされてもへっちゃら。
一寸も迷うこと無く、極めて事務的に自宅への道をたどることを始めた。
ちょっと懐かしい空港の景色よりもスマホのチェックに忙しい。

「やれやれ、連絡列車は待ってりゃすぐ来るから、慌てなくていいんだよ。」
慌ただしくエスカレーターを降りていく誰かに私は心の中で冷たく声をかける。
そして、ゆっくりと顔をあげる。

「あら・・・」
あの女性である。

この連絡列車を余裕で待てるか。
これが私が地元民と旅行客を見分けるひとつのインディケーター。
彼女は見事に「香港初心者」の烙印を押された。

よっぽど声をかけようかとも思った。
あのちっぽけなローカル空港から、香港人ばかりの飛行機で苦楽をともにした仲。
これも何かの縁、というような気に私もなっていた。

彼女の方も、私のことをやや認識していたかもしれない。
多分、私は日本人らしい顔立ちをしているし、空港でも視界に入っていた可能性もある。
そうこう考えているうちに、彼女はまったく緊張した面持ちをしていない
日本人の後ろへと並んだ。おそらく、出口までやや離れた距離で尾行されるのだろう。

連絡列車の中で彼女は忙しくスマホを操作していた。
私という追尾対象ができたからかもしれないけれど、
初めての旅行先ならもうちょっと窓から見える景色や停車駅に注意を払う。

やはり香港に来たことがあるのかもしれない。
「お母さん、今香港に着いたよ。」
「今、空港に着いた。もう少しでゲートから出られる。待ってて!」
誰とメッセージを交換しているのか分からないけれど、
彼女が何のために香港にやってきたのか、これからどこへ向かうのか。
クールなのだけど、どこか期待と不安を隠しているような表情に私は好奇心を刺激された。

やがて彼女と私の別れはやって来る。
彼女はパスポートを握りしめ、外国人として入国審査の列へ。
私は香港市民として、香港IDチェックゲートを通った。
「ようこそ香港へ。きっと楽しい旅を。」
日本の空港にいた時よりも少しだけあどけない表情の女性に心のなかでエールを送った。

荷物をひとり、待つ。
どうやら私の便のものは遅れてやってくるようだ。
どこぞの香港人が何やら厄介な荷物でも預けてしまったのだろうか。
トイレに行ったり、ツイッターを見たり、友人たちに帰国報告をしたり。
随分時間を潰したところで、ようやくあの香港空港名物である荷物受け取り口から
けたたましい音を立てて落下してきて、私の手元へと収まった。

出口へ向かう。
そして、再び彼女と出会う。
ゲートの少し前で空港と市内とを結ぶ機場快綫のチケットを買っていた。

オクトパスは持っているのだろうか。
やっぱり香港は慣れていないのだろうか。

これが最後に見た彼女の姿だったし、私の非生産的な一連の心配の終わりでもあった。

彼女が一体どこへ向かったのか分からない。
実はやっぱり出張で、明日の商談に備えて、ホテルでいち早く休んだかもしれない。
もしかしたら、彼女は見かけによらずとっても逞しい女性で、
ひとり廟街をうろついて、屋台を冷やかしに行ったかもしれない。

だけど、私の中で彼女にはきっと遠距離恋愛中の香港人の彼氏がいて、
どこかの駅で彼が待っていてくれるということにした。
しかも、少しローカル目なMTRの駅だったら尚更に良い。
綺麗目な格好をした彼女は、どこかの茶餐廳で遅めの夕食を彼と取る。
あんな涼しい顔をしてたけれど、本当は楽しみで仕方がなかったんだ。

私にとっては、もはや何のドキドキもない、事務的なフライトだったのだけど
彼女のように私とは違う人も実はたくさん一緒に乗っていたのだろう。
これから始まる香港での旅行に高鳴る胸を抑えながら、豆腐花を口にしていた。

そういう人たちが、香港の夜の光の中に次々と消えていくのを見ていると、
10年前に一大イベントのように香港行きの飛行機に乗り込んでいた自分を思い出した。

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