香港らしくない寺院を求めて ー 志蓮淨苑

各種宗教の熱心な信者の方々には大変申し訳ないのだけれど
私はまったく信心深い人間ではないという強い自覚がある。
そもそも科学的根拠のないものに対してまったく評価を与えない性格だから
宗教なんてまさにそのアイコン的存在であって、よほどタチの悪いビジネスくらいに思っているし
たまに実家に帰った時に聞かされる坊さんの説法に対しても、随分と冷ややかな態度である。

しかしながら、いい具合に歳をとった両親を日本に残してきた風来坊な息子としては
実家に戻るたびに目に見えて老いていく彼らの姿を見ていて
ごくたまに考えることがあるのである。
「自分のことはどうでもいいけど、彼らの無病息災くらいはたまに祈ってみようか。」と。

うちの両親はいわゆる普通の田舎の家庭がそうであるように
一定程度の仏教へのリスペクトがあるようで、
毎日仏壇の前にすわってお経を唱えるといったような
いくつかの仏教徒らしい基本的な生活習慣を持っている。
(というか、うちの家はとある寺の筆頭檀家なんて面倒くさい肩書があるらしい)

であれば、私も彼らの望むやり方でそれを祈ってやるというのが筋というものである。

そんな如何にも思いつきみたいな理由で寺にでも行ってみようというわけなのだけれど
おそらく香港内にある寺院の多くが道教絡みの施設なんじゃないかと思っている。
有名どころだと、ランタオ島の大仏に前にある寶蓮寺、そして志蓮淨苑が仏教系。
実は後者が未踏の場所だったりするので、今回足を運んでみたという次第だ。

鑽石山
場所は鑽石山。
MTRの駅(C出口)を出たらすぐに目の前に庭園への入口があるから普通迷わない。

鑽石山
入場後すぐになんか日本のどっかで見たことがあるような、ないような光景に出くわす。
それにしても、後ろに迫るビル群がいかにも香港らしい。

志蓮淨苑
今回、わざわざ仏教系の施設を訪ねてみたのは正解だったかもしれない。
日本人の私にとって、寺院とは厳かな雰囲気の中、落ち着いて祈りを捧げる時間を作れる場所。
そういうイメージを基準にすると、道教のものの多くは私が求めているものとは少し距離がある。
(たまにすごく素敵な廟とかありますけどね)

志蓮淨苑
観光ならまだしも、何かを祈りにいくというのなら、お祭り騒ぎしている神様たちより、
ちょっとストイックなものの方がシックリ来る。(庭の手入れは随分と甘いけど)

志蓮淨苑
庭園を抜けたところでいよいよ本殿。
2000年完工とのことなので、古めかしさやそれから出る威厳に期待することは
ちょっと酷かもしれないけれど、十分に雰囲気を持ったそれだから
私の方もちょっと神妙な心持ちになってきて、無事に仏様を拝むことが出来た。

志蓮淨苑
今日、このコンクリートジャングルのど真ん中で行われたちっぽけで気まぐれな祈りが
どこかに届いたかはまったくもって定かではないけれど、
この街にもこういう落ち着いた建物があったってことがわかっただけでも収穫。
これからも時々やってきたいと思うけど、仏様も嫌がらないかしら?
(今まで散々無礼なことばっかしてきたからさ)

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