[番外編]東チベット一人旅 Vol.2 – 標高3,000mを超える世界
一年半前に訪れたインド北部のラダック地方もチベット文化を色濃く残す地方であったが、
そこで見た家々とは若干趣が異なる。
この地方特有の建築様式であることはその建材を見れば納得できる。
断崖絶壁を成す山々の岩肌には細かい亀裂が走っており、
そこを叩けば岩肌の亀裂が大きく裂け、岩板となって落ちてくる。
叩き出された岩板をきれいに隙間なく積み上げていくことで壁が作られる。
まさに日本の城郭の石垣を思わせる構造だ。
そのような具合で二階までを岩板で作り上げ、三階は細工や極彩色を施した木材を組上げて建設される。
さらに屋根に四隅に直角三角形状の突起の飾り(ロウツェ)を設えて完成だ。
目に映る家々のどれもがそのような調子で出来ていた。
奥地で交通に不便をきたすような場所であっても立派な家が建っているところを見ると、
この断崖絶壁の山々が人々に齎す恩恵は計り知れないものと実感する。
また、一方で見方によっては、その山々は生命の存続を
危うくするほどの弊害ともなり得るような風景も散見される。
所々の岩肌の亀裂から美しい氷の”オブジェ”が出現しているのだ。
その”オブジェ”とは亀裂から噴き出す大量の水が凄まじい寒さのために凍てついて出来たものである。
水飛沫までもが氷の彫刻であるかのように綺麗に凍結しているところをみると、
短時間で急激に凍結したものと予測がつく。
過酷な自然が織りなす美しさに惹きつけられるより先に、
これが紛れもなく弊害を引き起こすであろうことに気が付いた。
通常、水が噴き出すはずのない場所にその”オブジェ”が確認出来るからだ。
本来、山は地表や地中に水道(みずみち)を持っており、大豪雨等の異常気象でもない限り、
安定して排水可能な機構を備えている。
しかし、道路整備がために重機等で山に大きな振動や形状変化を与えてしまうと、
安定した機構は乱れ、水道が変わり、予期せぬ場所から大量の水が噴き出してしまう。
その大量に噴き出る水の水圧や、水の凍結による体積膨張が脆い岩肌の亀裂を刺激し、
落石を引き起こしているのではと推察される。
勿論、重機等から発せられる振動が直接落石を誘発していることは説明するまでもない。
実際にこの道中では断続的に工事現場が点在し、そのところどころで
山が崩落している光景を目の当たりに出来る。
土木業従事者としては、複雑な葛藤を抱きつつも、落石の恐怖に怯え、
己の身の安全をただ祈ることしか出来なかった。
成都から色達に至るまでの間、数カ所で休憩を挟んだ。
トイレ休憩を数回と食事休憩が1回だ。
結局、この道中は14時間にも及ぶことになったのだが、
食事休憩はわずか1回、しかも朝10時の1回きりだ。
長時間の移動を想定し、日本から間食を持参していたために
食べ物に窮することはなかったが、ここまでとは思いもしなかった。
道路の整備状況を少し詳細に書くと、成都から色達までの道中の中間地点となる
マルコムという街を過ぎると途端に悪路に変わる。
そこから色達までの間、5時間の長きにわたって揺れに揺れた。
日が没する頃には、乱高下していた標高が3,000mを超す高地に突入し始めた。
鋭く澄んだ夜空には星が一面に光輝いていた。
更に奥地へと行くといよいよ高度も富士山を超える3,800mに到達する。
その頃には降雪がみられるようになっていた。
バスが急に停まる。
ラルンガルゴンパの入り口に到着したのだ。時刻は夜20時。
開いたドアから瞬く間に凍てつく寒気が猛然と襲来した。
ラルンガルゴンパの入り口と言ってもこの先数キロは閑散としているのだろう、
照明の類は見えない。
こんな時間帯にこんな所で降りるのは無謀以外の何者でもない。
と思った瞬間、中国人観光客が大挙しバスを降り始めた。
突然のその行為に目を丸くしたが、よく見ればバスの外にミニバスが停まっている。
辺境の地と言えどもここは彼らにとって自国であり、ホームであることには違いなく、
用意周到にラルンガルゴンパの宿から車を手配していたのだろう。
先ほどとは打って変わって、可能なことなら自分もご一緒させていただきたい
という淡く都合の良い希望がふつふつと湧き出した。
しかし、そんな願いも虚しくそんな想いが彼らに汲み取られることはなかった。
バスは静かに走り始めた。
車内はわずかな中国人旅行者とチベタンを残すのみとなった。
終点である色達まで行く事については当初の予定通りであったのにも関わらず、
猛烈な不安が襲い始める。
わずかに残った中国人旅行者も呆気にとられ動揺を隠せない様子だ。
バスは我々の心中を察することなく、漆黒の闇の中をただひたすらに進み続けた。
20kmばかり進んだ頃、小さなバスターミナルでバスは停まった。
そこは貧相で暗い場所だった。しかも時を合わせたかのように降雪の勢いが増してくる。
不安は募る一方だ。
チベタンは勢いよくバスから飛び出し、自分の荷物を取り出し
蜘蛛の子を散らすがごとく方々へ散っていった。
わずかにいた中国人旅行者もすでに宿を決めていたようで、
一分の迷いなくバスターミナルを後にしていった。
さて、どうしたものか。
このような状況は慣れてはいるが、今回は情報媒体をあまり持たずに
来てしまった上に殊色達に至っては地図すらも持たない。
町の規模や全容等分かる術もない。
どう行動すべきか、この緊張状態で頭の中が持てる経験と情報をもとにフル回転をし始める。
そうしているうちに客引きらしい夫婦が暗闇から現れた。
中国語で話しかけてきたが、毎度のごとく何を言っているのか分からない。
仕草からは今晩の宿はあるのか?といった具合だ。
「ない」とジェスチャーを返すと50元で泊まらないか?と言ったような仕草が確認できた。
50元であれば構わないし、この状況下で屋根がある場所で
一晩を過ごせるのであれば願ったり叶ったりだ。
即決した。
宿はバスターミナルのすぐ側のマンションの5階にあり、開けて入ると一般住宅そのものだった。
大きなソファのある居間でしばし待たされた。
客は自分一人のようで、やがて個室があてがわれた。
窓がなく二畳程度の独房と言った雰囲気だったが、
電気毛布なる文明の利器が備えてあればそれだけで申し分ない。
その後、気のいい夫婦は晩飯を振る舞ってくれ、厚くお礼を言い、その日は床についた。
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