香港から見る中国。日本から見る中国。
ひとまず民族的なマインドセットが全然違うというところはおいておいて、
「やっぱり勢いがある国とそうでない国は雰囲気が違うよねぇ。」
というのは、空港を出たところで感じる私の正直な気持ち。
もちろん、それは成熟した社会とそうでない社会と言い換えることも出来て
そういう意味において日本は信頼に足るというか、何かと安心できるオトナな国なのだけど
アジア諸国の街全体に漂う活気だったり、通りを歩く人たちに漲るバイタリティなんかを
目の当たりにすると、どことなく物足りないような感覚になってしまうのも事実というもの。
私は香港というアジア・パシフィックにおける中心的な役割を果たす都市で働く。
まさにインターナショナルを売りにしている企業のいろんな人種が行き交うオフィスの中で
数ある国々の中のひとつの担当としてサービスを提供している人材であるから
自分と同じような立場の人が国の数だけあって、それぞれ立場は平等である。
日系企業に見られるであろう、日本という特定の国に対するバイアスのようなものは存在しない。
ただ、そういう前提はもちろん建前であって、会社というものが利益を生み出すために
この世に生まれて来たという運命を背負っているいる限り、そこには当然
平等でないもの、不公平なことだって自然と発生してしまうのが常なのである。
具体的に言えば、利益を生み出すもの、将来に対する期待値が高いものに対しては
より一層の投資が行われていくことになるし、そうでないものからは予算の削減が
行われていくわけで、株主的な視点から見ても、社内的な扱いからしても
そういったものたちを一元的に扱うようなことは決して無いだろう。
当然、中国は前者であるわけで、欧米各国企業はこのカオス渦巻く巨大市場の中で
いかに活路を開いていくかに躍起になっているわけであるのだが、そんな企業の
マーケティング担当者たちの生の声を聞くと、このトレンドが並々ならぬものだと分かる。
「中国人がうちのブランドの商品を持つなんて。」
かつてはそんな風にお高くとまっていたブランド担当者たちも今では中国一色である。
(もちろん、彼らもプロだから将来的なリスクは頭の片隅にあるけれど、短期的には中国盲信。)
対して、日本。
先述した中国とのセールス格差はどんどん広がっていくばかりであるというのに
やれクオリティだの、薬事法だの、担当者はうるさいのである。
(中国なんて手放しでどんどん利益を生み出していくというのに)
欧米で数字だけを眺めている本社側がどのようにそれを受け取るかは容易に想像できるし、
予算を見ていても中国のパイが年々あり得ないペースで大きくなっていることが全てを物語る。
私が香港にいるうちにそういうトレンドが顕在化したし、それはどうやら不可逆的なもの
のようにも映るのだけど、当の本人であるオフィスの中国人たちもそういう自覚は当然あるようで
社内外の期待を集めるチームとして意気揚々といった面持ちである。
そういう光景を目の当たりにしている私としては
「中国はそのうち崩壊する」ことを密かに楽しみにしている人たち(まぁ、気持ちは分からんでも
ないけど、日本も無傷じゃいられないでしょ?)だとか、在日中国人に対する差別
(特に香港人とか台湾人とか、見当違いもいいとこなのでは?)やらを聞くたびに
何だか違う世界に住んでいるような気持ちになってしまう。
「爆買い」とかそういう断片的な現象を見て中国を論じている場合でも当然ない。
もちろん、私は日本に衰退一直線の将来しか残されていないとは思っていないし、
そうなって欲しくないという想いもあるけれど、相当まじめに頑張らないと
上へ、上へ、と上昇志向が強い国の勢いには対抗できないのでは、というお話である。
(それから、中国についても将来が100%約束された信頼おける投資先だとも言えないしね)
それから、日本と同じことが香港についても言えるかもしれない。
中国における特殊なポジションにあって、すでに成熟した都市として曲がり角を
曲がってしまった感があるこの街だけど、シンガポールや他の中国各都市との熾烈な競争
において最近どんどんプレゼンスが低くなってきている。
そういう意味においては、日本人と同じ歯がゆさを香港人たちも感じていると思う。
(市民レベルでは香港の方がより直接的な危機感を持っているだろうし)
日本と香港。
これからどうなって行くのか分からないけれど、それぞれ独自の活路を開いていって
現役バリバリで活躍して欲しい、とアジアの中心で働く社畜こと私は心の中で密かに思っている。
やっぱり、中国チームに負けてしまうのはめちゃくちゃ悔しいのである。
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