ようやくやって来た夏休み
やっぱり月餅は食べなかった今年の中秋節。珍しく時事イベントに参加した。
もうすぐ夏も終わろうとしているのに、まだまだそんな素振りをこの街は見せない。
元気よく大坑の路地を駆け抜けていく火龍に年甲斐もなく胸が熱くなった。
それから五日後。
香港っていう街にいるとどうしてもそこに住む人たちのペースに合わせるのだろうし、仕事も忙しい。
やりたいことも当然いっぱいあるしで何だかんだで私が丁度良いと思うテンポより
いつも少し早めで生活させられているような気分になってしまう。
そして、それはちょっとずつストレスという形で溜まっていっているのかもしれない。
それがいつか大爆発をしてしまう前に・・・私は鳥取でガス抜きをするのである。
人生、絶賛スロー再生中。
香港だったら数年単位で街の景色は変わっていくというのに、ここは何も変わらない。
(これは何だか分かるかしら?)
空気もマイナスイオンたっぷりだし、ちょっと庭や近くの畑を歩けばいつでも採りたてを手にできる。
(こんな書き方して、普段世話してる人の身にもなってみろ、だが)
ここにいながら香港で売ってる安全だか分かんないような野菜や、鶏肉の形をした鶏肉のような何かを
口にする毎日を想うと、随分命を削りながら生きてるんだわ、と自分が可哀想になってしまう。
どう逆立ちして考えたって、ここでの暮らしのほうが体に優しいのだ。
うちの裏にいっぱいなってる柿。
都会に疲れたから。と地方暮らしを始めたがる若者もこのご時世、意外に多いらしい。
何を隠そう私だって、田舎の静かで自然と共に暮らすライフスタイルに
遥か遠く香港の高層ビルの中から思いを馳せることがよーくある。
しかし、実際こうやって来てみると田舎暮らしがそんな楽なもんじゃないってことが分かる。
たとえば、田舎の朝は早い。しかも、ちょっと異様なくらいに早い。
どのくらい早いかっていうと、私が普段ようやくベッドから離れるような時間には
ここの人はすでにまさに「朝飯前の仕事」を当たり前のように終わらせて一息ついているのである。
「仕事で疲れてるから。」と「たまに帰ってくる息子のわがまま」でなんとなく
聞かないフリをしている「裏の畑の柿の収穫、手伝ってくれる?」というお願いも
一時帰国というレアリティが段々と薄れてくる休み後半には参加せざるを得なくなると思うと
今から戦々恐々としているわけなのである。
大変だって聞いていた稲刈りはもう終わっていた。(心の底から安堵)
散歩道。
犬の散歩といいつつ、母親によく連れ出されるのがこの一本道。
いつも結局、将来のことや生活態度のことにはじまるお説教じみたお話をされつつ
歩くことが分かっているので、私も何かほかのくだらないトピックへの誘導を試みるのだが、
ことごとく却下。やっぱりそれを神妙な面持ちで聞いてやるのが、親孝行というものなのかもしれない。
(悪あがきはしばらく続けるつもりでいるけれど)
そんなこんなで休暇は過ぎていく。
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