もうひとつの山陰 ー 神在月に訪れる島根
東京の人はあんまり知らないかもしれないけれど、日本にも中国地方という場所があって、
その真ん中を分かつように連なる山々を境にして、南側を「山陽」、北側を「山陰」と呼ぶ。
イメージ的に、というか実際問題そうなんだけど、「山陽」ってところは
概ね気候も穏やかで災害も少なく、豊かな瀬戸内海を囲むようにして
太陽の恵みを潤沢に享受することができる、ポカポカとした地域と言って差し支えない。
それに比べて「山陰」というのはいけない。
山の裏側にあるわけだから、いちいちジメっぽく陰気で雨雪の多そうな先入観がまず先に立つし、
おまけに「新幹線?何それ、美味しいの?」っていうくらいに交通の便が悪いから、
いよいよ足を伸ばしてみようという気が起こらない。
そんな気の毒になるくらいに難儀な場所にあるのが鳥取と島根の二県である。
日本地図を広げたって、それがどこにあるかも分からないし、どっちが東でどっちが砂丘か
なんてことになってくると、いよいよどうでもよくなってくる。
ちなみに、この二県、仲良く日本で一番人口の少ない県ワンツーフィニッシュを果たす
超ド田舎カップルなのであるが、おめでたいことに何かにつけてライバル意識が強い。
手に手を取り合って「山陰」を盛り立てていけばいいのに、ご当人たちは割と余裕なのである。
そんな都会人にとってはどうでも良い痴話喧嘩に明け暮れる彼らに最近変化が訪れた。
私の贔屓目もちょっとあるのかもしれないが、鳥取が新境地を切り開こうとしているのだ。
スタバの無い県、すなば珈琲にはじまる自虐ネタ、ダジャレの止まらない平井知事等々。
ブランドイメージの是非はひとまずおいといて、ともかく話題に上がるのである。
例えば、私の身の回りだって、鳥取なんて地名は日本人はおろか香港人には
絶対わかってもらえなかったから、今までだったら「関西かな。」とか、「神戸の近く」だなんて
嘘も大概にしろ的な説明を必然性と安い見栄に迫られてしてきていたのだけど、
最近「鳥取ってとこに実家が・・・」と勇気を絞って口に出してみたら、
日本通でもない港女が「あ、あのスタバが無い?」なんて返したから、私は仰天してしまった。
鬼太郎でもコナンでもなく、スタバがないことの方が有名になってしまっているのである。
しかも国を越えて、香港で。
だが、これはある意味、平井知事をはじめとする鳥取県民大勝利の図とも言えるであろう。
内容はともかく、話題に出してもらえないよりは食卓の笑い話のひとつにでもなる方が
よっぽどマシである。みんなが鳥取という存在を認知せざるを得ない環境を作ったのである。
それに比べて島根県というのは未だ素性が知れない。
だから、行ってみたいとも思わないし、知りたいとも思わない。
それが私の島根感であった。
そんな中、帰国直前に両親からメールが届く。
「帰ってきたら、島根に行ってみましょう。ホテルももう取ったから。」
香港人もビックリのハァァァ!?が私の脳裏でコダマしたが、時既に遅しであった。
老夫婦との旅行であるから、私自身にこの小旅行に対する期待はほぼ無かった。
親が歩き回れるうちにいろいろ想い出作りでもしておこう。それが主なモチベーション。
対して、彼らは彼らでまだまだ元気なつもりで、たまに帰った息子を
鳥取で退屈させてはいけない、という具合の親心を働かせているようでもあったから、
そういう意味では私たちは親子関係の過渡期にあるのだと思う。
そんな私たちがまず向かった場所が足立美術館。
よくある日本の田舎道に突如として現れるこの美術館。
横山大観、竹内栖鳳、榊原紫峰、上村松園をはじめとする優良な近現代日本画コレクションを
取り揃える、ここのもうひとつの自慢はよく手入れされた日本庭園。
順路に沿って歩くとともに、自然と日本庭園も楽しめるルートとなっており、一粒で二度美味しい。
大観の「白沙青松」を再現した庭園も。天気が悪いのが玉に瑕だけど。
あまり美術に関心の無かった私だけど、近頃ホテルオークラ建て替え前にやっていた
日本画によく魅せられた後というラッキーなタイミングだったこともあり、数時間も滞在。
常設の日本画コレクションの他、北大路魯山人の陶器展も楽しむことができた。
あと1ヶ月遅く帰国してたら、紅葉も始まってたかもしれない!
でも、ここには近いうちにまた来るような気がするから次回のお楽しみに。
ということで、全く期待してなかった半強制ディスカバー島根の旅。
不覚にも、いきなり全力で楽しんでしまうというスタートを切ってしまう。
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