住宅事情の副産物

香港人と話していると、何かにつけて「お母さんは・・・」とか「今夜はうちでご飯・・・」とか
そんな「家族」に関するキーワードがどんどんと飛び出してくる。
そういえば、街を歩いていても親子で手を繋いであるいている人たちだっていっぱいいるし、
日本で私が適当だと思っていた距離感とは違う風に家族と接している光景を見かけることが多い。

私が初めて香港に来た時、これはちょっと異質なものに映った。
大学に行くにしてもわざわざ地元から離れた場所で一人暮らしをすることを進んで選び、
その後も親とは一定の距離を置いて、自分のことは自分で決めて生きていくこと、
これすなわち自立(ま、そんな立派なこと言うほど出来てなかったけど)だと確信していた人間だから
社会人になってまで家族、家族と繰り返す人たちが何だか自分と反対方向に生きているように見えた。

もちろん、ここ香港という街の住人たちがそれをどう考えているのかは分からない。
多分、若者たちは若かりし頃の私のように一人暮らしすることを渇望しているのかもしれないけれど、
(きっとそうだろうね)近年の狂気じみた不動産価格の上昇を前にして、
一人実家を出て行くような勇気と経済サポートを兼ね備えた学生なんてそうそう多くないのが現状。

となると、残りの大多数の若者たちは狭い家に家族と寄り添って暮らすという選択肢しか
残されていないわけだから、本人たちの意向はどうあれ、諸処の事情により
必然的に至近距離の家族関係が生まれている、と考える方が実情に則しているのだと思う。

そういう必ずしもハッピーとはいえない背景が存在するわけではあるけれど
私も歳をとるにつれて、違和感と感じていた香港人の家族関係を目にするにあたり、
家族のあるべき姿としてどっちが自然なのかしら?とも考えるようになってしまった。

何せ私が親に顔を見せることなんて、出張の合間に瞬間的に帰省することも含めたって多くて年に数回。
メールも電話も稀。例えば、私がこのまま外で生活することを続けたとしたら
あと何回彼らに会えるんだっけ? 本当にゾッとしてしまう。

さんざん迷惑をかけてきた母親なら何となく人となりも分かるような気もするけれど
忙しく働き続けていた姿しか知らない父親なんて、いまだにどんな人なのかわからないところがある。
いつかは居酒屋で一杯でも飲みながらとは思っていたけれど、よく考えたら不幸なことに
お互い飲めないので腹を割った話も出来ないまま、彼は(あ、私も)どんどんと老いていっている。

こういう私の家族の付き合い方と香港人家族。
もはやまったく別次元のものと言っても良さそうな極端な二つの生き方だけど、
「家族」という言葉から想起するイメージとしては後者の方がよっぽどヘルシーであるのは間違いない。

段々と私はそういう風に考えるようになった。
だから、私も最近嫌なことがある度にいっそのこと実家にでも帰って親孝行しながら
細々と生活してやろうと息巻くのだけどそれはそれでちょっと時期尚早な気もしている。

今でさえ、たまに実家に帰ったって、最初はお客さんのように笑顔で迎えてくれる母親も
一週間もたたないうちに段々と扱いも雑になって、しまいには畑の水やりというような類の仕事の
労働力の計算に私を入れてくるようになるような有り様だから、
一緒にいて長期的に良好な関係を築くためには田舎の尺度で測った(これがトリッキー)
相当程度の貢献が強いられることが予想されている。
現状、適度な距離(日本ー香港)があるからこそ、喧嘩もせずに穏やかにやれているのだ。

そして、そもそも私は人混みだの行列だの都会の風物詩のようなものが大嫌いだけど、
そのくせ自分で楽しいものを作ったり、見つけたりすることが得意じゃなくて、
周りの誰かそういうことをしている人に乗っかることでほとんどの時間を潰すような人間だから、
基本的に都会の方が合っているという悲しいジレンマも抱えている。
鳥取の田舎は大好き。しかし、狸だの雉だの見つけて大騒ぎしているのもせいぜい最初の一ヶ月だろう。

そういうことを考えていると、何だかんだで家族と上手くやっていけてる香港人が
ちょっと羨ましくも見えてくる。特にうちの近くの漁村(海の上に住んでる人たちもいる)なんて
マンション暮らしの香港人と違って、「近所の人みんなで子どもたちを育てる」っていう気風が
今でも見られて、みんな精神的に健やかに育っているように見えて素敵だと思う。

うちの親もそういう雰囲気が濃厚に漂う日本の田舎で育ったらしいのだけど、
私もそんなソーシャルな環境で育ったなら、今頃もうちょっと真面目なおじさんになれてたんじゃないか
とか、漁村の小麦色に焼けた肌の子どもたちを横目に時々そういうつまらないことを考えることがある。

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