沈みたいけど沈めない
私がこの街に住もうと決心して日本を出発した日。
同じJALの飛行機に私の相棒も同乗していた。
都合上、私と同じ客室ではなく、貨物室の中で香港国際空港への着陸を果たした彼は
こちらに来てから新しい環境に悪戦苦闘する私を横目に、日本に居た頃と変わらず
のんびりとしていて、毎日自宅でニートな生活を謳歌しているようだった。
持ち前の元気と愛嬌、健康な身体だけが売りという彼のとってもゆるくてわがままな
生活ぶりは羨ましい限りだったけれど、それでも居てくれるだけでもいいや、
と思えるような彼の存在は、私にとって新天地での心の拠り所のようでもあった。
そういう気ままな生活を続けていた彼が先日、急に食欲をなくした。
食う、寝る、遊ぶ。を地で行くような生活をしていた彼だったから、
彼が食べることをやめるなんて、本当に事件である。
病院嫌いな彼だけれど、うずくまって動かないからいよいよ心配になって
引きずるようにクリニックに連れて行ったら、普段はあんなに愛想が良いヤツなのに
やたらイライラしてたらしくて、先生やナースの前でもさんざん暴れまわった。
どうやら彼は40度を超える熱を出していたらしく、そのまま検査入院した。
そして、翌日、彼が身体の中に腫瘍を隠し持っていたことが発覚する。しかも、悪性。
私は心配になって色々調べたりもしたのだけれど、彼の身体は私と少し違って特殊だから、
いくら頑張っても1年持てば良い方だとかいう、縁起でもない話しか見つからなかった。
春先にうちのワンコにも癌疑惑が突然降って湧いた際、検査の結果、
できた腫瘍は良性だということが分かって冷や汗を流しただけで済んだ。
だから、その時の再現を。と願ってみたけれど。やっぱり黒は黒だと医者は言った。
彼は今、入院している。
私も仕事が終わって毎日旺角のクリニックを訪ねているのだけれど、
他の患者たちの中で彼は柄にもなくちょっと緊張気味で入院生活を過ごしているように見える。
ベッドには「Fever(発熱)」という、詳しい検査結果が分かる前の彼の病名(症状)が
書かれた名札が吊り下げられているけれど、そのすぐ前に立つ私や他のお見舞いの人たちの表情は
もちろん悲痛そのもの。涙を流す人たちだっているから、彼はいろんな人から愛されていたんだ。
ちなみに、そんな私たちとは裏腹に病室内の空気はそう重くはない。というか、香港そのもの。
幸か不幸か、となりの患者をお見舞いにくる香港人のおじさんが飛んでいるのである。
たとえて言うならば、「恋する惑星」に出てくるミッドナイト・エクスプレスの店主と、
「天使の涙」でレオン・ライに保険をすすめる元同級生を足して2で割ったような、
口から生まれてきたとしか形容し得ない人が毎日私たちの横でしゃべり続けるのである。
こんな時なんだから、静かに、そして放っておいて。と言うのが私の心情なのだけれど、
まるで私と10年来の友人かのように巧みに話しかけてきては
「はぁ?熱がでてるだけ?美味いもの食ってりゃ、すぐ治るって〜。」
「早くうちに連れて帰って、好きなことやらしてやれよな〜。」
なんて好き勝手なことを病室全体に響き渡るような声で叫び続ける。
そういう軽い言葉が私にとってはグサグサ刺さってしまうわけだし、
まだ香港に来たばかりの頃だったら、怒り心頭していたような彼の態度だけれど
こちらの生活にも少し慣れてきたのか、彼のお陰で病室がお通夜状態にならなくて
良かったのかもなぁ、ともほんのちょっとだけ感謝もしていたりもする。
沈みたいときにもなかなかすんなり沈ませてくれない、それが香港スタイル。
でも、きっとこのおじさん、彼が私の立場だったらなりふり構わず子供のように号泣してんだろなぁ。
香港人ってそういう人種だとつくづく思う。
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