たまには良いことするじゃん、と思ったのに

眠い目をこすりながら、いつものようにテレビをつける。
周嘉儀が去ってからというもの、見るものではなく、聞き流すものと化してしまった香港早晨。
おおよそ世の中の暗い出来事を報道しているのが常だし、面白いニュースがあったとしても
そういう楽しい雰囲気で話してくれないキャスター陣なので私もいよいよ注意を払っていない。

が、そんな退屈なニュース番組が知らせる今朝のとある一報に、私はしばし朝の支度の手を休める。

「香港の祝日が一日増えるかもしれない。」

街ゆく人々にいちいち感想を求めている様子が映し出されたが、そんなの愚問だと思った。
李嘉誠じゃあるまいし、この世界に休日が増えることを喜ばない輩がどれだけいると言うのだろうか。
私なんかは香港島のど真ん中をパレードしながらそれを祝いたいくらいの気分である。

香港政府もたまには良いことをするじゃないか。

そう思った矢先、テレビの画面が古ぼけた白黒映像に切り替わった。

戦勝記念日だという。青天の霹靂だった。

だって、そんなの違和感がありすぎる。
この街には間違いなく戦争の被害を受けた歴史があるし、ここに住む人たちの心のなかにも
永遠に癒えない傷が今でも残る。そして、何より日本人の私がここでこんなことを書くこと自体が
誤解を受けそうな気もするけれど、それでもやっぱり降って湧いたように戦争記念日が新設される、
という事実には「何で今さら?」と首を傾げてしまう。

そもそも、香港市民にそんな民意があったのだろうか。

多分、そういう主張をする人たちもこの街にはいるのかもしれないけれど、
世間知らずな日本人である私の身の回りにあって、日々忙しく生きている香港人たちの中には、
そういう事象に対して負の感情を積極的に発信していくような人はあまり見当たらない気がする。
そりゃ、しつこく大戦について掘り下げれば、皆多かれ少なかれ
「実は私のおじいちゃんはね・・・」的な胸の奥に秘めたお話は隠し持ってはいるけれど。

だから、ーそういう私の思い込みが見当違いでないということを前提とするならばー
今回の話はどう考えても北京が絡んでいるんじゃないかっていう悲しい推測にたどり着く。
「休日を増やす」なんていう、誰しも拒む理由を持たない、むしろポジティブな感情すら
誘発してしまうものに政治を絡めてくるなんて、本当に危険。ヤツラのやりそうなことである。

今後数年、「あれ?お休み増えたの?でも、戦勝記念日とはまた突然だったね。」的な
微かな違和感とともに香港人たちも過ごしていくのだろうけれど、
毎年開催されるそれに関係するイベントはもしかしたら必要以上に反日感情を刺激するかもしれないし、
それを見ながら育つ新しい世代は今の香港人とは違う考え方を持ち始めるような気もする。

何か国内の争い事が起これば、大衆の目を他国に向けさせることは政治の常套手段。
共通の敵を作ることで香港人の懐柔を狙うことも視野に入れた、中国政府の周到な根回しが続く中、
この街の人たちはどんな反応を見せていくのだろうか。

「大丈夫、香港を信じてる。」
そう言いたいけど、日に日に大陸から吹き込む風が強くなるこの街でそこまで楽観的にもなれない。

以前の反日運動。福島の核施設に関連した騒動。
海外、特に日本に対して負の感情を潜在的に持つ場所で見る母国の姿は、
実家のお茶の間のゆるい雰囲気で流れるニュースで見るそれとは全く別のものに見えるし、
身の周りの人たちの声もとことん容赦がなくて、時と場合によっては心が痛くなることも。

何だかこのニュースも、そういう嫌なものの前触れな気がして
いつも重い通勤の足がより一層重くなった朝だった。

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