香港における私のルーツ、あのドラえもんの家に戻ってみた
皆さん、『私のルーツ、ドラえもんの家。香港スローライフのすすめ』なる
記事は読んだことがあるだろうか。香港にやって来たばかりの私があんまりにも香港らしくない
辺境の地に居を構えてしまったという奇妙な話だが、今回はそれを踏まえたものなので、
まずはご一読いただき、興味を持たれた方のみ、さらに読み進んでいただきたい。
懐かしのあの場所に戻ってみた
待ちに待った休日。好きなだけトラムにでも乗って香港島を歩いてやろうかとも思ったが、
朝からそれは気持ち良い青空が広がっていたから、私の心はやはり郊外に向いてしまった。
狭い街だというのに行き先だけは不思議といくらでも浮かんでくる。
しばし考える。・・・久々にあの場所に戻ってみるか。
大埔、汀角路。
吐露港沿いをぐるっと回るサイクリングコースの最終地点に近い場所。
土日になるととたんに発生するサイクリング客。静かな住宅、山、海。
それ以外はほとんど何もない場所。だが、紛れも無く私の香港における原点である。
ここにはセブンイレブンや茶餐廳すら無い。
例えば夜中にアイスが食べたくなってもバスで20分がかりで街にでないといけないし、
尖沙咀のオフィスに通うのだって片道一時間半くらいかかってたと思う。
だけど、ここで過ごす休日の素晴らしさはそれを補って余りあるんじゃないだろうか。
あいにく曇り空に。写真も残念なものになってしまったけれど、
青空のもとに広がるマングローブに囲まれた海。ほとんど波が立たないから鏡みたいな水面。
それを独り占めするかのようにして、小鳥がさえずる声を聞きながら遅い食事をとる朝。
理想的な生活である。
私の住んでた村の入り口。
大埔の古びた自転車屋でブレーキがほとんどきかない中古自転車をHK$400で買って、
毎日ここから中文大学まで往復26kmの道のりを自転車通学していた。
村で唯一のお食事処。邦利士多。
お世話になったあの人はまだいるのだろうか。
いた、いた。相変わらず元気な林太。
何年ぶりなんだか分からないくらいだったけれど、会うなりすぐに「アイヤ〜」が飛び出した。
オランダに住む娘さんに子供が出来たそうで、めでたくお祖母ちゃんになったそう。
昼食はもちろん豉椒排骨炒烏冬。
香港に来たばかりの頃、これには本当に救われた。
今思えば、これより美味いものは香港にいくらでもあるけれど、まさに想い出の一皿。
通常メニューには無いこの烏冬、私のために特別に作ってくれた。
実際に住んでいた家の前にも。
そう、この坂。平和な村が突如血の海と化した、あのマフィア事件の舞台でもある。
家賃も当時は庭付き700sq ftで5,000香港ドル未満だったように記憶しているけれど、
今じゃこんな辺境の地だというのに軽く10,000超えの世界になってしまっている。
村では苺摘み農園も。香港で苺摘み?出来るんです。
しかもめちゃくちゃ甘くて美味い。
よく盗み食い苺摘みに行っていたなぁ。
旅の途中に見慣れないものが見つかってしまった
ところで今回私は少し手前でミニバスを降りて、汀角路をてくてく歩いていたのだが、
想い出の場所への道すがら何やらのっぴきならないものを発見してしまった。
私がここに住んでいたころにはこんなもの絶対無かったはずである。
分かるであろうか。この写真に何かとてつもなく違和感があるものが写っている。
よく見えない、なんて言う困った人のための拡大画像。
この観音、家の屋上においてある置物なんかじゃない。
山肌に建ってるようなのだけど、異常な大きさなのだ。
こんなものを発見してしまったが最後、寄り道開始である。
見知らぬ村の路地を入る。
名も知らない辺境の村と観音様
第一村人発見。え?やっぱり見えないって?画面中央からやや右に注目。
香港にヤギなんていたのか・・・。
野生化した牛はよくみかけるけれど、ヤギとの遭遇は初めて。
今思えばその場でGoogle map等で距離や道を調べながら進めば良かったのに、
そこらへんは行き当たりばったり。こんな坂を延々と登る羽目になる。
こういう計画性の無い歩き方も一人旅の醍醐味。
坂道を登り切ると立派な門が現れた。名を慈山寺というようだ。
残念ながら一般公開は行われていないらしいので、外から写真を一枚。
新築の寺にも関わらず、十分に厳かな雰囲気が漂っている。
香港で出会う残念なお寺たちとは一線を画する美しいお寺。
ちなみにこの寺、あの李嘉誠の息がかかったものだという。
個人でこんな巨大な寺や観音を建ててしまうなんてまさにケタ違いの金持ちである。
たまにイベントがあったり、予約をすれば入れるようなことも
書いてあるので興味がある方はぜひ。
ということで、今回のルーツに戻ってみる旅はここで一旦終わり。
付近にはバーベキュー場として有名な大尾督も徒歩圏にあるのだけど、それはまた後日。
目まぐるしく常に動き続けていなくちゃならない香港での生活。
時には息苦しくなって、ついついストレスフルになってしまうことも少なくないのだけど、
そんな時、こうして振り返れることが出来る原点が変わらずあることは幸せなのかもしれない。
それが場所であっても、料理であっても、自分に向けられる笑顔でもいい。
「現代人の住む場所ではない」と話す度に香港人に切り捨てられるこの場所は
紛れも無く私にとってのそれであり、今後も変わらず香港らしくなくあり続けて欲しい。
一日中村から出ずにソファーの上で死んだように眠ってる老人や、
毎日バーベキューに麻雀に精を出して人生を謳歌している村人たちの姿を思い出してみると、
当面は大丈夫かなっとも思ってはいるけれど。
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