「我要真普選」のポスターが忙しい
うちの前の道路に黄地に黒文字の大きなポスターが貼ってある。
今や香港のいたるところで見られる例のアレだ。
「我要真普選」(私は真っ当な普通選挙の実施を希望します)
このポスターが最近忙しい。
ある時は半分剥がされ、しばらく経つときちんと貼り直される。
次の日に見るとまたボロボロに剥がされ。そして、直され。
要するに佔中派と反佔中派の通行人がそのポスターに対して
自分の感情をぶつけあっているという現象がここで起こっている。
実際に私の目の前でポスターを勢い良く剥がす人を見たこともある。
こうして見ると、本当に反佔中の人がどこにでも存在し、
怒りを溜め込んでいることが分かるし、それはそこらへんにいる
普通に生活する人たちで、しかも、結構若い人だったりもする。
そして、このポスター、最近は剥がれている時間のほうが長い。
いつも乗り慣れたバスが非ぬ方向に
私が香港でもとびっきりの下町といえる深水埗区の歯科医に
通っていることは以前に書いた。
先週末もさんざん口の中を蹂躙され、命からがら逃げ帰ったわけだが、
しばし意識朦朧だった私はこれといった考えもなく、たまたま前を通る
バスに飛び乗った。112路線。昔良く乗った北角行きのバスだ。
ちょうど銅鑼湾に用事のあった私にはピッタリのバスで、
下町を抜けた後は彌敦道を南下、紅隧を抜けて香港島に通じる。
私は時間がある時はMTRよりもバスの方に好んで乗るし、
一番前の席が確保できた時は特に上機嫌なのだ。
しかし、バスが走り始めてすぐに大渋滞に巻き込まれる。
いつもスイスイと進むような道ではないが、こんなに動かないのは
本当にしばらくぶり。そうして、しばらく待っていると、
今度は彌敦道より随分手前の小さな通りに入っていく。
「デモ・・・か・・・。通りでバスの乗客が少ないわけだ。」
香港名物でもあるダブルデッカーバスは通常ルートの彌敦道でなく、
上海街を通って九龍を横断していく。道路としてのキャパシティが
まるで違うから、横目に見る夜の女たちの歩くペースの方がバスより速い。
追い詰められるデモ隊
実はこれが私が実質的にデモから負の影響を受けた最初で
(今のところ)最後の瞬間だった。私の自宅付近、そして通勤ルートでは
デモもやっていないし、尖沙咀では彼らも占拠行動は行っていない。
しかし、こうして身をもって巻き込まれてみると(大袈裟だけど)、
反佔中の発生もごく自然に起こったことなのかも、と感じてしまう。
通勤ルートでデモなんか起こされたら溜まったもんじゃないし、
実際デモはそういう市民の生活に長く影響を出してしまっている。
私は9月に始まった佔中自体は発生するべくして起こった事だと
思っているし、今までの活動に対しては割と肯定的に見ている。
学生主体にも関わらず、自制と自治によってある意味理想的な
デモ活動を行ってきたとも評価している。
しかし、中国側はさらに一枚上手だったとも言えるかもしれない。
デモ中心勢力に対してはまったく直接取り合わず、表立っては放置状態。
それでいて、裏ではオバマに全世界に向けて「アメリカは中国の
内政問題には干渉せず」と発言させるほどの根回しの良さ。
良くも悪くもオトナの対応をしている。
現状、中国共産党側も含めて外界はほとんど痛手を負っていないし、
それ故に誰もデモ側と交渉をする必要もないのだが、
そうなって来ると今回の実質的被害者は香港だけというちょっと
考えたくもない一人負けというか自傷行為の構図が浮かび上がる。
というか、一般市民レベルではそんな面倒くさいことを考えなくても、
あまりに長期化したデモに食傷気味なのであり、政治的意味とか
何よりただ単純に障害物としか見えてこなくなって来たんだろう。
だから、自然に怒りが湧いてきている。
私も今後の佔中という手段でのアプローチの継続可能性とその意義
についてはあまりポジティブな意見を持っていない。
我要真普選のポスターを破るってことは?
話をポスターに戻す。
私は一連のポスターを巡る攻防の激しさにも多少の驚きはあったが、
それ以上にもっと気になっていることがある。
それはポスターには「我要真普選」としか書いてないこと。
なのにポスターは破られちゃうわけで。
私の理解(というか理想なのかな)が正しければ、「我要真普選」
は佔中・反佔中を問わず、両勢力の共通の最終目標なのではないだろうか。
反佔中派は単にデモという活動で自分に物理的不利益が生じているから
反対しているだけであって、止めるべきは佔中であり、普通選挙ではない。
もっと言えば、怒りの矛先も佔中であり、普通選挙ではないだろう。
どうもそこを混同している人がいるような気がしてならない。
要するに香港市民の大半は「民主政治が必要だから佔中」な人と
「民主政治は必要だけど佔中は嫌」な人で構成されているはずで、
(ここでは狭義の香港人という意味で、共産党からの刺客たちは除く)
いずれにしても民主政治という理念に対しては疑いの余地がないはず。
確かに佔中が民主政治のシンボル的にはなってはいるけれど、
じゃあポスター外したり、破ったりしている人に、
「普通選挙はいらないんですね?民主政治は諦めたんですね?」
と聞いてみても、勢い余ってそれらしいことは言うかもだけど、
そういう人であっても、心のなかでは民主政治を切望している
香港人市民に変わりないはず。普通選挙も当然賛成だろう。
だから、結局のところ、同士討ちみたいな状態になってんじゃないかと。
みんな同じ民主政治、普通選挙の方向に向いているのに、
方法の問題でお互いを憎み合っちゃっているという悲しさ。
そして、誰が得をする状況なのだろう。
いよいよ明日はデモ施設の強制撤収との噂だけれど、
当然学生たちは今後も運動を形を変えて続けるのでしょう。
でも、その時にはあくまで香港市民は民主政治実現を願っていること
(反佔中の人も含めてね)は忘れないで欲しいし、各勢力が手を
取り合って普通選挙実現に向かって今後も運動していけるといいのに、
とまたまた老婆心ながらに思ってしまったりするのである。
香港、こんな小さくて700万しか人がいないわけだから、
それで足並み揃ってなきゃ、変えるものも変えらんないでしょ。
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