月餅、月餅というけれど
定時前だっていうのに、人がどんどんオフィスから離れていく。
通常であれば、もちろん許されないことではあるが、今日は特別。
中国人にとって、一年のうちでも大事な行事とされる中秋節である。
多くのオフィスでは社員たちが早く家に帰り、家族で夕飯を囲むことが
できるよう、特別な配慮をするのが通例となっている。
さて、そんなオフィスのルールさえも変えてしまうほどの一大イベント、
中秋節ではあるが、肝心の社員たちはまっすぐ帰宅しているのかどうか。
それはおいといて、香港人たちがこの日をどのように祝っているか、
であるが、どうやら「家族一緒にご飯を食べる日、そういえば今日は
月が綺麗だね。」的なレベルであり、かなり形骸化しているのが実態であろう。
日本もそうだと思うが、近代化著しい社会では古くからのしきたりなんて、
どんどん廃れていって、現代人たちが今日が一体何でお休みなんだか、
というあり得ない疑問に首を傾げている、なんてよくあること。
そもそも、周りのビルが高すぎて、月なんてほとんど見えないのが
ここ香港の悲しい実態ではあるけれどね。
そんな中秋節。ひとつだけ日本人にも馴染みのあるものがあると思う。
それが世に有名な月餅という食べ物である。
香港人にとっても、「家族と一緒に夕飯」+「月餅」=「中秋節の出来上がり」
の公式が成り立つくらい、イベントを象徴すべきシンボルのようなものでもある。
しかし、この月餅という食べ物、よく聞くことはあっても、どんな代物だか
実際に知っていてお話している日本人は少ないのではないだろうか。
香港から届いた意外な贈り物
私の月餅との初めての出会いは、まだ日本で働いている頃であった。
香港人の友人を持っていた私は、ネットで調べたような安っこい知識を
振り絞って、中秋節を知らない日本人のお決まりの文句でもある、
「中秋節といえば、月餅を食べるんでしょ?」をメールの中にしたためた。
何のことはない。ただの季節の挨拶のようなつもりで書いたのだが、
それから数週間後、オフィスに出社するとひとつの国際郵便が届いていた。
それが私の運命的な月餅との出会いだったのである。
今思えば、メールに書いた私の何気ない質問も、香港人にとっては
「月餅ください」と言っていたようなものだったんじゃなかろうか。
何せここではお歳暮・お中元のように月餅がやりとりされていて、
中国人というのはこういうところの礼儀には非常に気を使うのだ。
海の向こうの日本人ですら中秋節を知っていて、月餅を話題に出している。
香港人としては、ここで送ってやらねば、名がすたってしまうのである。
そんなこととは露知らず、月餅というちょっと優美な名前とは
うらはらに随分とボリューミーなルックスを持つ贈り物を前にし、
期待に胸を膨らませる私なのであった。
さて、お味の方は?
ちなみに、この時に香港人が送ってきてくれた月餅は
私も老婆餅でファンの香港榮華のもの。いわゆる伝統的な月餅である。
ここは香港人としても、クラシックなものを送りたいに決まっている。
月餅という名をもつくせに何故か四角な私の贈り物だったが、
本当にサイズが半端じゃないし、日本じゃあんなでかい菓子なんて
なかなかお目にかかれない、堂々とした貫禄を持ったやつであった。
この手のやつは、通常、ナイフかなんかで切り分けて、
ひとつを家族で分けて食べるのが一般人の食べ方なのであるが、
無知な日本人である私はまるで洋菓子でも食べるかのように
ガブリとあの大物に喰らいついてしまったのである。
なんせ私の中では食の都の住人である香港人がわざわざ送りつけてくるような
超グルメな一品という幻想が出来上がっていたのだ。
結論から言うと、私は大のオトナだというのに、その月餅一個すら
完食することができなかった。味、食感、内容物、そのすべてが
想像のはるか彼方を行っており、中華四千年の歴史に感服するどころか、
香港人たちの味覚を疑ってしまうほどのインパクトを持っていた。
ものすごいヘビーな餡の中になぜか塩漬けの玉子。
明らかに「食べ飽きないように」という配慮が感じられない、
一本調子に作りこまれた味だったわけで、決してグルメでない私ですら
白旗を上げざるを得なかったのである。
名前がひとり歩きしまくってるよな
後に知ることになるが、実はこの月餅という只者ならないヤツ、
香港でも若い世代のウケはあんまり良くない。
これを聞いて、私も随分安心したものだが、まぁこんなドギツイ
個性を持っちゃってる食い物が万人受けするわけがなかろう。
そういう意味では、みんな内心「俺、実は苦手なんだよな」と
思いつつも、仕方が無いから毎年中秋節になるとなんとなく
月餅を送り合っているという、かなり笑えない実情が浮き彫りになってくる。
毎年、相当な数の月餅がゴミ箱行きになってるんじゃなかろうか。
日本も人のこと言えないけど、誰かがやめようって言わなきゃ
この悪しき風習は延々と続いて行くのであろう。
いや、月餅がなくなってしまうと、香港人たちは本当に中秋節が
何のための日か分からなくなってしまうだろうから、それも困る。
今日日、中秋節は「何故か月餅をもらう日」くらいの認識で、
大事な「文化」の破片としてかろうじて残ってくれているのだから。
そんな状況の中、一部の一流ホテルやハーゲンダッツなんかは、
アイスだったり、食べきりサイズだったり、伝統的なものに比べると
遥かに食べやすい新世代の月餅を近年販売するようになっている。
古い世代から言わせると、あんなもの月餅なんかじゃない、
と一刀両断されそうなくらい似ても似つかない代物だが、
事情が事情だから、まぁ仕方なかろう。
大事なのは心だよ、心
と、言うことで意外にも知名度ほどに歓迎されていない月餅なんだが、
今年も日本の友人たちからは何度も「月餅」という言葉が聞かれた。
もちろん、彼らはそれが何を意味するのか知らずに呟いているのだが、
私は初めて口にして以来、「もう死ぬまで食べたくないリスト」に
入っちゃってるくらいの拒絶感を持っているので、
彼らが何気なく口にするそのフレーズに内心恐々としている。
それにしても、月餅もそうであるが、香港に来てからというもの、
贈り物には結構ガックリ来ることが多いような気がする。
例えば、旧正月にやりとりされるお年玉。
日本でお年玉といったら、子供にとってはかなりの稼ぎどきであるが、
こちらでは大の大人がやりとりするその袋の中がせいぜい数百円だったりする。
それであるのに、あれだけ笑顔が振りまけて、その数百円で
向こう一年間の機嫌や私に対するケチ度評価が左右されるのだから、
香港という場所はまことに恐ろしい場所である。
香港人が旅行とか言ってきても、おみやげに買ってくるのなんて、
「お前、そこらのスーパーで適当に買ってきたやろ」的な
袋入りのお菓子だったりするしね。
今どき、子供の遠足のオヤツでももうちょいマシなんでないだろうか。
・・・なんて、いかんいかん。
贈り物をする時に一番大事なのは「心」だからね。
そういう日々のささいなやりとりが香港人にとっては重要なのである。
・・・ささいすぎて、私なんか気づかない時さえあるけど。(汗)
この記事へのコメントはありません。