香港のバスやMTRで気になるあの人たち
もはや香港名物といっても良いだろう。
香港のMTRやバスの中でけたたましくしゃべり散らすオバちゃんたち。
一体、この人たちの大声はどこから発せられているのであろうか。
初めて香港を訪れた時なんて、本当に同じ人間なのか不思議に思って、
動物園の珍しい生き物を見るかのようにマジマジと見つめてしまった。
何せこっちは教育という名のもとに、車内で葬式でもやってんのか、
ってくらいに不自然に静まり返った日本の乗り物に
毎日乗ってたのだから、当然その大きなギャップに驚いた。
旅行者の頃は「香港って本当に元気に溢れた活気あるところだよな」
という、根拠の無いプラス補正にごまかされる可能性もあるが、
毎日あの騒音を聞いているとさすがに殺意が湧くようになってくる。
なんせこっちには選択の余地がまったくないのである。
私のiPhoneにはボリューム調整のボタンもあるし、イヤホンも差さる。
だが、あの生き物たちは常に「MAX」で喋り散らすし、
どこにも音量調整できそうな装置が見当たらない。
同じ車両に乗り合わせたら最後。観念するしかないのだ。
浮き上がってくる家系図
ところで、そういう物理的な騒音公害という深刻な問題はあるにせよ、
他にもうひとつ私にはどうしても気になることがあった。
それは、「そんなプライベート、人に聞かれて嫌じゃないの?」
という如何にも日本人らしい心配である。
なんせあの人たちは周りに誰が何人いるかなんて全く気にせず、
「今日は街市で菜心が安かったわよ」というような
どうでも良い話題から、「私の上司、マジぶっ殺す」系の
穏やかでない愚痴。はたまた、「今晩は○○で家族で食事だけど、
××は病気してて来れないから」的なプライベート満載なことまで。
傍で聞いているだけで、このおばさんには兄弟が何人いて、
そのうちの誰が金にガメつくて、どこの家の子供が
勉強ができない上に引きこもっていて、そしてそのお母さんは
ショックで食べ過ぎて今必死にダイエット中、とか
そういう似顔絵入りの知らない家の家系図が出来上がってくる。
同じバスに乗って同じ目的地に向かう、もしかしたら
近隣住民かもしれない赤の他人である私たちに
そんな自分や家族の秘め事を聞かれて問題ないのだろうか。
私が気にしすぎなのかも。プライバシー大国からやって来たのだから
ここについては、未だ確かな結論に至っていないが、
おそらく香港人特有の生活環境が多少影響しているのでは、と思っている。
こんな狭くて、どこにいってもわんさか人がいる場所である。
家に帰って、落ち着いて彼女とこっそり電話しようとしたって、
狭い家では家族に筒抜けな環境だし、秘密なんてなかなか持てたものではない。
そういった自分の空間を持つことが極度に難しい環境は、
青少年たちが育つ過程で、プライバシーという心の機微であり、
人生の贅沢でもある甘い空間をことごとく破壊していき、
彼らも歳を重ねるに連れ、徐々にその存在を諦めて行くのではないかと。
そうして出来あがる化け物があのオバちゃんたちというわけである。
そう考えると、少々同情の余地もでてくるというものであろう。
というのが、ごく一般的な日本人である私の率直な推察なのだが、
一方で日本人の持つスタンダードが国際標準かと言ったら、
それは全く違うだろう、ともハッキリ言える。
例えば、今日の夕飯のおかずは何かってことすら、生活レベルが
透けて見えるから、大きな声では喋らないっていう日本人がいるわけだが、
これは世界的に見れば、これまた一記事かけるレベルの逸話だろう。
要するに、そんな日本人がこうして香港人を見てプライバシーを
語るなんて、異端が異端を説いているようなもので、
それこそ第三国から見れば、まことに滑稽なお話である。
私が感じるリアルな香港人
ここまで香港の乗り物に見られるプライバシーレスな生き物について
書いてきたが、(私も香港に住み始めた頃はそうであったが)
そこだけにフォーカスすると、香港人というのはいかにも
開けっぴろげで恥を知らない人種なんじゃないかと思ってしまう。
確かに当たらずとも遠からず的な部分もないこともないが、
今まで七年香港に住んできた私の経験から言うと、
おそらくそのイメージと実物の彼らは真逆に位置している。
意外や意外、彼らもアジア人特有の奥ゆかしいところも
大いに有していて、実はシャイで遠慮がちな面も持っている。
傷つくときには当然に傷つくし、嘘かと思うかもしれないが、
本当は喋りたいことを我慢している時だっていっぱいある。
私はそれに最初気付かずに、ただただ何も考えずに
しゃべり散らかしているように見えた香港人に合わせて、
こっちも開けっぴろげにオープントークを全開してみていたが、
あろうことか、いつの間にか私だけがどこかに取り残された感を
味わうという憂き目に何度か会った。
いくつかのトピックについては、彼らは非常に敏感で、
かつ保守的な部分があって、それが日本人の感覚と違うだけ。
今ここでそれが何なのか?と問われてもスラスラ出てこないのだけど。
それを知るまでは、本当にデリカシーの無い人種かと本気で思っていた。
茶餐廳や下町の店で初見の私に随分とひどい対応をしてくる
無愛想なおじさん、おばさんも実はそういうシャイな部分が
働くイタズラだったりするし、こっちがちょっと近づく努力をした途端、
急に笑顔を見せて、心を開いてくれたりするしね。
慣れって怖いよね
と、今回は香港名物のおばちゃんたちについて、
誰に頼まれたでもなく書いてみたのだけど、
今現在の私が彼女たちを見てどう思うかというと、
正直「慣れた。」っていうのが本音。
私には彼女たちの目の前までズカズカ歩いて行って、
ちょっと黙っていただけませんか、なんて喝を入れるような
度胸もないから、自分が慣れてしまうというのはベストなチョイス。
人間の適応能力っていうのは本当に優れたものである。
最近なんて、日本出張から帰って、香港の空港バスに乗るやいなや
あの人たちの喧騒を聞くと、「あぁ、香港に帰ってきたなぁ。」という
得も言われぬホーム感を感じるようにまでなっている。
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