麦わらの一味の背中を見ながら
Facebookではお先にポストさせていただいたが、昨夜帰宅時の光景。
MTR駅内にあの御一行様たちが勢揃いしていて、私は目を疑ってしまった。
コスプレとはいえ、海賊なのだから、せめてフェリーに乗ってて欲しかったが、
そこまでのディテールを要求するのは酷というものだろう。
ちなみに、どうしてこんな愉快な連中と鉢合わせたかというと、
香港ではどうやら昨日から動漫電玩節なる、日本でいうコミケのような
イベントが開催されているとのことらしい。
このコスプレの気合の入り方からしても、香港にも相当に熱いアニメファンが
いっぱいいて、会場も随分と盛り上がっているのだろうと想像できる。
日本と同じ、いやそれ以上に受け入れられている日本のアニメ
この「香港ライフファイル」を立ち上げてからというもの、
香港における日本語話者の多さには舌を巻くばかりだが、
彼らの日本語学習のきっかけがアニメであることも多いようだ。
(AVばっかじゃないんだねぇ)
たかが趣味のためだというのに、この人たちの日本語レベルは非常に高く、
彼らのアニメに対する情熱が伝わってくるというもの。
また、香港の一般家庭を見てみても、香港人のナイーブな面と
相当相性が良かったのか、日本のアニメ自体が幅広い年齢層に
受け入れられているのを見ることができる。
「ちびまる子ちゃん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」なんかは
誰でも知っているし、街を歩いていたってあちらこちらに
日本のアニメのキャラクターを発見することができるだろう。
(でも、サザエさんはみんな知らないよね、何で?)
一番わかりやすいのは、海港城のフェリーターミナル前の広場か。
日本ではちょっとあり得ないような香港人用にアレンジされた
ストレート過ぎる打ち出し方で主人公たちが無惨に晒されている。
オタクっていうと、ねぇ・・・
ここで、ちょっと話を昔に戻してみる。
私が始めて自分の漫画を手にしたのは小学生のころ。
転勤族の家庭で育ったから、転校に次ぐ転校。可哀想に思った母親が
こっそり買って、机の上に置いてくれていたコロコロコミックだったかな。
それ以来、人並みに少年ジャンプも読んでみたし、
学生時代は多少のアニメも見ていたように記憶している。
そして、大学時代くらいだっただろうか。私がそれらを止めたのは。
大の大人がアニメや漫画を愛好する、というのがなんとなく
かっこ良くない感じがしてしまったからなんだと思う。
文字通り、大人げない感じがしたのだ。
今の若者は知らないが、私の世代では少なからずそういった
世の中の風潮というものもあった気がする。
今だって、オタク(程度もあるから例にするのもどうかと思うが)って
いうだけで何だか世の中に適応できないヤツの集まりという認識が
そこらに溢れているよう感もあるし、下手したら他の人より
犯罪の世界に少し近い位置にいるような錯覚まで持つ人もいるだろう。
当の本人が気づいていないという皮肉
そこまで極端ではなかったが、私もなんとなく大人が漫画やアニメ、
ってのはやっぱりちょっと抵抗があったのである。
だから、最初に香港に来た時には当然に拒絶反応があった。
子供ならまだしも、大人までアニメに夢中だったりするし、
港女たちはキティだったりリラックマだったり、
何らかのキャラクターものがお気に入りで、
それを自分のアイデンティティのようにまでしていた。
私が日本で付き合ってきた人たちが見せるアニメに対する姿勢とは
まったく違うものであったし、ちょっと幼稚すぎるのでは、とも感じた。
そういった感情は香港に来てからしばらく私の中にあったのだが、
よくよく考えてみるとこれは大変にもったいないことだったと思う。
日本の十八番でもあった家電業界の雄がことごとく苦戦し、
ここ香港で胸を張れるような日本製品がなくなりつつある中、
このアニメとAVだけはMade in Japanが未だ圧倒的なのである。
そして、とっても皮肉なのは当の日本人がそれに対して無関心なこと。
今の日本の社会においてアニメがどういった位置づけになっているのか、
海外も長くなってきた私は疎いのも事実であるが、おそらく今でも
日本人がアニメに対して感じるものと、海外がそれを見つめる目とで
相当の温度差があるのはほぼ間違いないんじゃないかと思っている。
何故、彼女が私の家を「ドラえもんハウス」と呼んだのか
ちなみに、このアニメや漫画。車や家電にない、ものすごい力を持つ、
と私は時々考える。何故なら、内面に文化や思想を内包しているから。
香港人はアニメの中の環境や発生する事件が日本で当たり前に
起こっているものだと思うし、それ前提で日本のイメージを膨らませる。
例えば、私が香港のど田舎で住んでいた一軒家。
私の友達である香港人はそれを「ドラえもんハウス」と呼んだが、
きっと彼女の頭の中ではほとんどの日本人が一軒家に住んでいる、
になっているのだろう。のび太君の家がそうであるからである。
こう書くとあんまりすごいことに感じないかもしれないが、
これもちりも積もればで、文化や思想、いわゆるマインドセットを輸出する、
っていうのはとんでもなく影響力のある行動で、極端なことを言えば、
それは他国にミサイルぶっぱなしたり、戦争したりするより意味のあること。
変な例えだけど、韓流とかあんま見てると最初はめちゃくちゃだと思った
展開が、いつの間にか自然に受け入れられるようになったりするでしょ。
物質的な被害より、内面への影響力の方がよっぽど素晴らしいし、怖い。
そういう意味ではただ単に製品としてでなくて、日本文化の入り口として、
海外で愛好されているアニメに対して、みんなもうちょっと関心を持って、
国をあげてもうちょっと再評価してみても良いのかもね。
ルフィたちの背中を見ながら、そんなことを考えたフライデーナイト。
やりきった「満足感」に溢れた面々の表情。
またどこかで会えるといいなぁ。
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