笑顔と係咩?

日本から香港に旅行しに来てみると、そのタクシーの使い勝手の良さ
感動し、旅行中何度も乗ってしまうのはよくあることであろう。
それはもちろん、香港在住の日本人も同じである。

街にタクシーは溢れているし、なんといってもリーズナブル

何時まで残業してようが、明け方まで酔いつぶれようが、
真っ赤なアイツがいてくれる限り大丈夫、という安心感。
MTRやバスとともに、便利極まりない香港市民の足となっている。

かくいう私も日常的に彼らのお世話になっているのだが、
日本と違うそのサービスに戸惑うこともまれにある。
今日はそんな地味にネガティブなタクシー経験について書いてみたい。

「・・・好。」の真意は如何に

「上海街 順明大廈, 唔該」
「・・・。」

なんともぶっきらぼうな対応の多い香港タクシーだが、
目的地まで連れてってくれればいいだけなので、別に私は構わない。
タクシーはすぐさま走りだす。

そして、冷房の効いた車内で私がスマホいじりに熱中を始めた頃、
どこからともなく小さな声が聞こえてくる。

「順明大廈… 順明大廈… 順明大廈っといえば・・・」

・・・!? 知らなかったのか・・・。

好、なんて返事をした癖に今更聞き正すとは驚きである。
いろいろ説明してみても、上海街付近の道全般的に疎いから、
他のタクシーに乗り換えたいレベルの代物だ。

香港は小さな街ではあるが、大きなものから小さなものまで
通りの名前も非常に多いし、タクシーのドライバーだって、
よく知らない地域があっても不思議ではないだろう。

だから、知らないことはいいんだが、あたかも知ってるかのような
返事をして走りだしちゃうあんたは本当に罪なヤツである。
乗った時に言ってくれれば、他のに乗り換えたかもなのに。

それとも知らないとは言えない香港人の見栄だったのだろうか・・・。

書くならクラシックに「紙にペン」がおすすめ

上記の経験はタクシーが走りだしてからのアクシデントだが、
そもそも、タクシーのドライバーに行き先を告げる、という
初歩的な行為自体が難しいこともある。

まず英語が流暢なドライバーが少ないこともあるし、
通りの名前なんて大抵広東語読みで覚えてるだろうから、
頑張って英語で発音してみてもなかなか伝わらないことも多い

そんな時に頼りになるのが、紙に書いて見せること。

非常にクラシックな方法だが、効果のほどは折り紙つきで、
一発で目的地に連れて行ってもらうことができる。
しかし、注意が必要なのはこの「紙に」書いてみせるということ。

何故私がこんなことを言うかと言うと、よくハマりがちな罠が、
「iPhone持ってるし、Google Map見せれば一発やろ。」
という文明の利器に頼りきった奢りに端を発するからである。

もちろん、情報量としては紙に書くより全然多いし、
便利な上に効率的な意思伝達手段なのだが、経験的に

そんな小さい字、見えるわけねぇだろ。

で一蹴される可能性が高い。

「こうやって拡大もできるんだ。」「てめぇのその老眼鏡で見やがれ!」
と私も当然粘りを見せるのだが、梃子でも動かないとはこのことで、
見ようとする努力を一ミリたりとも見せないドライバーたち
科学の力に真っ向から反抗するアナログ社会のプロテスタントである。

手元に完全な情報があるというのに、伝えられないこの無力感・・・。

こんなにストレスなこともないから、旅行者の方々には
必ずペンと紙を使って、目的地を大きめに書いておくこと
ぜひおすすめしたいと思うところである。

寂しく響く、乾いた笑い

私がまだほとんど広東語をしゃべれなかったころのお話。

ドライバー「$%@%$&%*#$#@(広東語)」

驚いたことにいきなり広東語で話しかけられてしまった。
しかも、かなり長いこと絶え間なくしゃべっているのである。
… まだこれを無視するほど神経も図太くなかったナイーブな私
この外国人向けとは到底言えない早口の広東語に焦りに焦った。

しかし、この時私にまだ若干の理性があったのは、
ある切り札を私が持っていたからであろう。

広東語がわからない時は、とりあえず笑ってみる。
そして、「係咩?」(そうなの?)と相槌を打っていれば、どうにかなる。
という短い香港生活で得た処世術をもっていたのだ。

それを実行することで、暗いタクシーの車内には、
意味不明な広東語と私の乾いた笑いの混じった「係咩?」
こだまする不思議な空間が流れるようになったのである。

が、そんな心の通わないコミュニケーションが長続きするわけがない。

しばらくすると、無意味に笑顔を作るという本能に反する働きを
していた、私の顔面中の筋肉たちがいい加減に疲れてきたのである。
だから、私はその不思議な会話を一方的に終わらせることを決断した。
随分と失礼な話だが、彼とはもう会うこともないし、私はお客だ。

… それなのに、ドライバーはまだ一人で喋り続けている

もしかしたら、ちょっと頭のおかしい人なのかもしれない
そんな疑問が頭をもたげてきた頃、私ははじめてマジマジと
彼の顔を見つめ、その耳元に微かな光を発見した。
なんと彼はずっとハンズフリーで他人と喋っていたのである。

・・・私は一人で長いこと誰と会話をしていたのだろうか。

ドライバーの方こそ、
「ちっ、今日はやけに霊感の強い客を載せちまったもんだ。」
くらいに思っていたことであろう。

「釣りはいらない。」… 気もそぞろに精算を済ませ、
今後の香港生活に不安を馳せつつ、帰路に着く若き日の私なのであった。

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