いつも香港人にランチ連れてってもらう私の贅沢な悩み

私はよく香港人とランチに行くのだが、彼らは地元出身者なので、
美味しい店、流行りの店、新しい店、いろいろ良く知っている。
なので、私はえらそうにいつも店選びはお任せしてくっついて行くだけ。

なんだかこう書くと、一見、楽で素敵なランチのような気もするし、
実際そうなんだが、本音をいうと私の心の中には日本人らしい
もやもやも贅沢なことに存在してしまっている。
が、私はそれを口には出さない。私は変なところだけ未だに日本人なのだ

 本物か偽物か、区別がつかない!?

私の連れの香港人たちは、当たり前だが私が日本人だということを
知っているので、ランチのローテーションの中に絶妙のタイミングで
日本食Dayを意図的に入れてくれている。

まったくもって気遣いの出来る人たちであって、
私にとっても大変嬉しいことなんだが、悲しいかな、
本物の日本食と、日本スタイル料理の区別がつかないようなのである。

前者は日本人の方が経営されていて、お味の方も日本で食べるものと
遜色が無い味がする、正真正銘の日本料理
逆に後者は、日本料理を真似てみたりだったり、
日本での生活経験のある香港人シェフがいたりといった、
悪い言い方をすると、なんちゃって日本風料理である。

どっちが美味しいかなんて明白だし、特に後者に関しては
我々日本人が食べようものなら、会話する元気も
なくなってしまうような正に外れくじに他ならない店たちもある。

しかし、私もそんなことを連れてきてくれた香港人に言えるわけもなく、
「まぁ、いいんじゃない。OK tasteだよ。」とか意味不明に
その場を濁すものだから、彼らも学習できず、私も苦しみ続ける、
という完全なる負のスパイラルに陥りまくっている

たまに私が店を選ぶこともあるのだけど、その時は、
彼らは「くそまずいね」とか「師傅呼び出して説教しようかと思った」
とか好き勝手いうから、私が変に日本人すぎるのだ。
どうでも良いところは随分とローカル化しているくせに。

だが、次こそは勇気をもっていってやろう。
「そもそも店の前に客引きがいる時は怪しいと思って。」と。
あいつら、いつも胡散臭い日本語を話すその客引きたちにやられるんだ。

健康志向は大変良いことだとは思うが

香港の料理といえば、脂ぎったこてこてのものをついつい
想像してしまうが、実際香港人の食生活を見てみると、
それなりに健康に気を使ったものを食べていると思う。

私の連れの人たちは、特にその気が強く、ある意味健康マニアだ。
でも、それは別にいい。勝手に健康を追求してもらう分には、
まったくもって私に害はないはずである。

と、思っていたのだが、ランチの選択権を彼らが握っている以上、
知らんぷりというわけにもいかないことに私は今更気づいた。

他人任せで食い物に無頓着な私だが、今思い起こせば、
彼らと行くランチ、妙に「あたたかい」「野菜中心
刺激がすくない」というようなキーワードで結びついている。

そして、私は四川料理とかスパイシーなものが結構好きなのだが、
たまーに自発的にそれらを提案してみるも、
ものの見事に全員にスルーされている。しかも、一度や二度ではない

彼らは極度に辛いものや、甘すぎるもの、油っこいものは
ほとんど口にしないし、このくそ暑い夏だというのに、
私が冷たい飲み物を飲んでる前で、熱檸水とか平気で頼む。

何だかそう考えると、毎回シンプルで薄味なものが
中心になってくるわけで、これは私の健康のことを考えると、
間違いなく香港人たちに感謝するべきであろう。

私の密やかな抵抗

しかし、だ。
ランチといえば、ストレスフルな平日のオフィスタイムで
唯一羽を伸ばせる時間であり、私としては好きなものを食って、
短い時間の逃避行を楽しみたいのである。

麻婆豆腐や口水鶏で舌をヒリヒリさせたいし、ラーメンを
ズルズル言わせながら啜りたい。甘党な私は激アマなスイーツを
しこたま食べて、ストレス発散したりもしたい。

それが私の周りの香港人たちとではほぼ無理なのである。

だから、誰も一緒に食べてくれないランチの時には
ここぞとばかりに不健康なレストランに駆け込み、
香港人たちに見つかったら怒られそうなコテコテの
ジャンキーな食べ物たちを貪るわけである。

この開放感、そして多少の罪悪感も伴うひとりランチは最高で、
私の中では密かな楽しみになりつつあるのだが、
どういうわけだか次の日には何だか寂しくなって、
「ランチいくよね?」とかWhatsappを送っている、
救いようのない日本人なのである、私というやつは。

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