かつてのエリート達はどこへ行ったのか

一つだけ怖くて聞けないものがある。

世の中には聞かない方が良いことだってあるし、
それを知らずに無知のまま生きるほうが幸せなんていっぱいある。

だけど、それを分かってても知りたいというのが人間というもの。
敢えて聞こう。知ってる人がいたら、ぜひ教えて欲しい。

香港のオフィスって、平均年齢が低いと思うのだけど、
中年以降になるとみんなどこに行くのか?

日本よりはよっぽど実力主義

最近は割と変わってきていると思うが、日本は年功序列の文化が
まだまだ色濃く残っているんではないかと思う。
オフィスで偉そうにしているのは大体頭の白くなったおじさま達だ。

だが、香港はそこらへんは日本よりもうちょっとオープン。
ちょっと若くたって、優秀で高学歴な若者はエリートコースを歩める。
まだまだ青二才な青年が中年男性を使うなんて日常茶飯事だ。

マネージャーが年齢的にもシニアである必要はないってことは、
オフィスに年配の人間がいる物理的必要性がないわけ。
よって平均年齢が低くなるというのも納得ができる。

じゃあ、奴らはどこへ行ったのか?

ここで肝心なのは「オフィスに必要ない」ことでなくて、
必要とされないシニアたちはどこへ行ったのか?である。

この問題は直接私にも絡んでくる深刻な問題なので、私は真剣だ。
いつまでも若いわけではない。
どこかに引かれた社会のレールがあるなら、それに載せられてしまう。

答えを出すのに抵抗があるが、私なりに想定されるプランを
考えてみたから、読んでみて欲しい。

自立心溢れる香港人だから

この香港という地は、自分でビジネスを持つ
ということに対してとても関心が強いところだと常々思う。
私のランチ仲間も、ご飯を食べている間、ずっとお金のことか、
ビジネスのことかを止めどなく熱く語ってくる。

耳にタコができるくらい聞かされるし、どうでもいいことなんだが、
人に使われるということに非常に抵抗があるんだと私は思っている。

歴史を紐解くと、香港はひとつの漁村からどえらい発展を遂げたが、
その間ずっと誰かに統治され続けていたという事実がある。
服従の歴史とも言えるから、人に命令されるのにとっても敏感だ。

そういう背景があるから、いずれ自立して自分でビジネスをという
マインドセットが出来上がるんだと推定するが、
見事それを成し遂げて、自営業となる人が多いと仮定したとき、

おじさん、おばさんがオフィスがいなくなる。

が成り立つのだ。
これはかなりハッピーエンドな設定だから、私的にも一押しである。

世捨て人となるのか

あんまり考えたくないが、逆にネガティブになるパターン。

香港の街を歩けば、「そのお歳でそんな辛いお仕事を・・・」と
思わず同情してしまうような肉体労働をしている老人
お目にかかることが多いだろう。

あれである。

例えば、トイレの掃除のおじさん。

たまーにのそのそと便器を磨いたりもするようだが、
基本的には個室の一室を占領して、魂が抜けたように座っている。

あれははるか昔のオフィスでバリバリやってたころを
思い出しているんじゃないだろうか。

そりゃそうだ。あんなに勉強して、会社でも頑張ったのに、
挙句の果てがトイレ掃除に左遷ではやる気も出るはずがない。
そう考えると、仕事をしないトイレおじさん、おばさんも許せる気がする。

まぁ、出家したようなもんだ。

はたまた内に秘めずに外へと発散するのか

人間、嫌なことがあればうちへうちへと溜め込む人もいれば、
一気に外に発散する人だっているわけである。

そこで思うのが、香港名物の茶餐廳だ。
忙しそうに働くウェイター・ウェイトレスは、
(ウェイターとかってなんかあまりにも似合わないが)
日本と比べるとかなりシニアだったりする。

あれも、もしかしたら元を正せば大会社で幹部として
働いていたのかもしれない。
そうだとすれば、全てに合点がいくというものである。

輝かしい栄光の日々を経て、何の因果か茶餐廳を斡旋され、
そこで余生を全うすることを強制されたという設定である。

納得行くわけがない。

そこへウキウキ気分の日本人旅行客が、知ったかぶって、
「菠蘿油、凍檸茶 少甜!」とかガイドブックを見ながらオーダー。

何が少甜である

いつもキレてるのも分かる気がするだろう。

まさかとは思うが

トイレおじさんと茶餐廳おばさんは自分の中では
論理的に思ったよりスムーズに説明がいくので、有力な候補になった。
2つに共通するのは会社で頑張っていたのに、ある日突然何かが発生して、
今までとはまったく違う職業への道を歩まざるを得なくなったことである。

が、最悪のケースも念の為に考えておこう。
大きな声では言えないが、香港と言ったって、所詮中国の一部である。
何が起きたってサプライズはない。
トイレおじさんたちだって、生きてるだけマシだと考えたほうがいいだろう。

なんでこんなこと言うかというと、香港でお墓をほとんど見ないからだ。
そりゃゼロではない。ちょっとくらい見ることもある。
だけど、あれは上手く共産党と取引をして、
無事に生涯を終えた人の限られた墓地なんではなかろうか。

そうだとすると、まさにどこに行った?状態で、
謎が謎を呼ぶばかりである。
割とフザケて書いているようだが、結構真面目な私の日頃の疑問である。

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