広東語から垣間見える香港社会の一端を紐解く
言葉というものは大変面白いもので、往々にしてその話し手が
属する文化を如実に表すと思う。
たとえば、日本人にとって当たり前の考え方だって、
海外に出てみたら、まったく通用しないことがたくさんある。
通用しないということは、そもそもそんなマインドセットが存在しない、
ということであって、当然それに該当する言葉も生まれてくる必要がない。
まぁ、そんな面倒くさいことを改めて語る必要もないかもしれないが、
今日は近くて遠い外国・香港を言葉の面から覗いてみる。
これをマスターすればあなたもネイティブ
食咗飯未呀? (ごはん食べた?)
有名な話かもしれないが、これがネイティブの挨拶。
ハローや你好の前置きなく、唐突に会話は始まる。
しかしこれは別に本当にあなたが何を食べたのかに
興味をもっているわけでなく、ただ顔を合わせたときに
挨拶程度に吐き出す意味のない言葉である。
香港に来たばかりの頃、私はこれが分かっていなかったから、
「はい、先ほど酢豚と野菜を食べて、奶茶を飲みました!」とか
聞かれてもない詳細レポートをしては、香港人たちをしばしば困惑させた。
この食べた?は、「シャワー浴びた?」「仕事終わった?」に替えてもいい。
相手を気遣う(関心がある)という点がポイントであって、
何気ないそのコミュニケーションに小さな愛情が埋め込まれている。
ちなみに、私が中文大に行ってた頃は、
この「食咗飯未呀?」「食咗啦」の単純すぎるやりとりを
ほぼエンドレスで練習させられたが、その余りに心の通わないやりとりに
終いの頃にはさすがに先生に憎悪の念が生まれてきていた。
香港人がなぜか幸せに見えるわけ
無所謂。事但。差唔多。
どれもこれも香港に辿り着いたばかりの私をイライラさせた言葉たち。
「適当で。」とか「大体そのくらいで。」とか、
そういうあいまいな判断とか決定を責任逃れをしながら、伝える言葉。
まだ当時は日本基準の物の考え方をしていたから、
私はそういういい加減な言葉たちが大っ嫌いであった。
今やむしろ私が率先して使うようになってしまったこの一連の
無責任系広東語たちだが、ここに香港人の真髄が見え隠れする。
多忙を極める仕事、劣悪な住宅環境、とストレスに事欠かない
香港人が最後の最後はどこか楽天的に見えるのは、
この無責任系の広東語たちが実に密接に生活に根付いており、
一定のストレスを感じるとこの言葉たちが上手に香港人たちを
ガス抜きしてくれてるんじゃないかと考えている。
彼らの生活のバランスをとるのに必要不可欠な言葉たちなのだ。
速さこそ至高
快啲!快啲!(はやく!はやく!)
この言葉である、問題は。
香港にいる人という人、みんなが毎日何かに追われている。
理由を聞いてもまったくろくな答えが返ってきやしないが、
とにかく忙しくしていないと不安なのだ。
そんな場所だから、毎日快啲!快啲!が街に溢れる。
ちなみに、私と一緒に仕事をする人の口癖は、
「唔駛咁急!最堅要係快!」
(そんな急がなくていいよ。一番大事なのは速くやること!)
・・・・!?
私の席の後ろに腕を組んで仁王立ちしながらの金言がこれ。
香港人と仕事をするとはこういうことである。
香港にも存在した社交辞令
香港人同士のお別れの挨拶は異常なほど淡白だ。
「ばいばい。」「ばいばーい!」
そんな簡単な挨拶の後は、何もなかったように日常に戻っていく。
この時、結構な確率で「下次一齊飲茶!」(次は一緒に飲茶しよう!)
という言葉も聞かれるんじゃないかと思う。
ただこれ、気をつけてほしいのだが、私の経験からいうと、
本当に一緒に飲茶する確率なんて半分以下である。
日本でいう、「また今後ごはんしよ。」「今度は一緒に飲もう!」
というレベルの一般的な社交辞令がここにも存在していることがわかる。
向こうは言った瞬間、飲茶のことなんか忘れているし、
あなたがちょっと期待してそれを待っていることなんて知る由もない。
だが、社交辞令大国から来た日本人としては
特にここで困難を感じることもなかろう。
涼しい笑顔でやり過ごすのが大人の対応である。
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