高級時計を買いたくなるワケ

当たり前だけれど、海外で暮らすこと。良いことばかりではない。
それは日本にいる頃には気づかなかったようなごく普段の生活の中に
潜んでいることが多いのだけれど、特に私を悩ませて来たのは言葉の壁の問題。

稀に見かける語学の才能の固まりのような人と違って、私のような凡人は
いくら勉強したって、やっぱり母語である日本語からの情報が外国語のそれに
比べて抜群に吸収が良いし、海外にいること自体が常に高地トレーニングを
行っているような、つまり薄い空気の中でなんとか生活しているような感覚を覚える。

ニュースや新聞に始まり、そこらで井戸端会議をしているおばちゃんたちの大声さえも。
自分の脳が消化しきる前に右の耳から左の耳へと通り抜けてしまうような虚しい気持ち。

しかし、近頃の私はこんなことも考える。
じゃあ日本語だったら何でもかんでもストレスなく通じてるか、と。
多分、答えはノーだったんじゃないかと思う、というかそう気付かされた。

何故そういうことをわざわざ考えちゃったかというと、私を高地から引き摺り
下ろしてくれる人たちと久々に直接的に、そして間接的にも出会うことができたから。

私が何か言葉を発するとき。
常識や礼儀に流行り、それからどうしたら相手に伝わりやすいか、
そういうちょっと面倒臭いフィルタ群にかけられて、よそ行きの言葉が作られていく。
だから、それはある意味ほぼ無意識のうちに自分で検閲をかけているようなものだけれど、
そこで脱落した言葉の中にはより端的に私の想いを伝えてくれる言葉もあったはず。

何だか残念なような気もするし、何より一番鮮度の良い言葉を
切り捨てる事自体がストレスかもしれなかった。

でも、そういうプロセスを全部すっ飛ばして、頭から出てきたままの何も精製されていない
言葉をぶつけても理解してくれ、さらに彼らが話すおおよそ普段の生活では聞かれない
原石のままの言葉たちも、何故か私の中にすっと入ってくる人たちが目の前に現れた。
そういう体験をさせてくれる人たちの方に最近ちょっとずつ引き寄せられているような気がする。

田舎に遊びに行って、ちょっと林の中に。そこで大きく深呼吸できた時の安堵感。
零細ブログではあるけれど、少しずつ記事を書くようになって、そういう風に私の心に
マイナスイオンいっぱいの風を吹かせてくれる言葉たちには敏感になっているのかもしれない。

人はなぜ高級時計を買うのか

仕事柄、オフィスでは高級時計ブランドと向き合う時間が長い。
確かに魅力的な時計を各社ずらりと取り揃えているのだけれど、私はもともとそういう
ブランド物に興味がある方でもないし、何より毎日見慣れてしまっているので、
それらを大金叩いて買っていく人たちの心情そのものが私にとっては不可解になりつつある。

これはオフィスを共にする同僚たちとも容易にシェアできる感覚で、最近もランチのときの
箸にも棒にもかからない他愛のない話題のひとつとして上がってしまったのだけど、
この時にもあの風が私の前を吹き抜けていったのを覚えている。

「時間って誰にでも平等で、お金をいくら出しても過ぎゆく時間には抗えないもの。
だから、人は時計に異常な執着を見せるのかもね。それは無意識かもしれないけれど。」

実際のところどうなのかなんてどうでも良くなってしまった。
むしろもっと俗っぽい理由で買っていく人たちが多いのだろうし、それ以上でもそれ以下でも
無いのだろうけれど、私の中の世界では誰が何と言おうとそういうことにしておくことになった。
ランチのテーブル上ではまさに風のように特に反応されることもなく過ぎ去った言葉が、
ナイーブで面倒くさくて、ちょっと湿っぽい私の心の中には綺麗に着地し、そして良く根付いた。

「何事にも賞味期限がある。」

ブログ上でも私はこういう言葉を何度も繰り返してきたのだけど、
おそらく私はそれらの本当の意味を分かっているようで分かってないのかもしれない。
そもそも「終わり(死)があるから美しい。」とか言われても、ちょっと知ったかぶりして
「確かにね。」とか相槌打ったりするかもしれないけど、実は論理的にその心理を説明できない。

ただ、終わりが来ることを知ってしまって、残りの時間が過ぎ去ること、
今という時を惜しむ気持ち、っていうことだったら私にも理解できていると思う。
それはこの香港という街で、毎日それを感じているから。

一国二制度も50年という期限付き。
いつまでも今のままである確証はどこにもないし、まだその半分も消化していないというのに
すでに街は変化を始めてしまっていて、それは私にとって焦りでもあるし、悲しみでもある。
街を歩いていると、表面的に見えるこの大都会の発展とそれに残酷なまでにつきまとう宿命、
そしてそれと向き合っている香港市民の健気さのギャップに心が痛くなることもしばしば。

たとえば、
「香港は終わりが決まっているから美しいの。ねぇ、今が一番美しいと思わない?」
と置き換えてみれば、とたんに私の心に刺さってくる。
そして、それこそがこの街から目を逸らせない理由なのだろうとも思う。

決して抗える宿命ではないのかもしれない。
だからこそ私はこの場所を愛して止まないし、いつまでも香港が香港であってほしい、
とこの小さなブログから異常な執着を見せている、という時間と時計の論理。
頭では理解できていなかったけれど、それは今まさに身をもって体験中だったのだ。

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