蛋撻と黒縁ノッポの七一

朝から嫌な予感はしていたのである。

いつもの泰昌餅家で菠蘿飽と蛋撻一個ずつ買おうと思ったら、
香港特別行政区成立記念の特売りとか言われて、「二個の方が安いよ!」
と半分寝ぼけた私に熱のこもったセールストーク。
「いや、一個でいい。」って言ったのに、袋の中には蛋撻がしっかり二つ。

やっごっ(一個)とりゃんごっ(兩個)って聞き間違わないと思うし。
そして、成立記念日は昨日。もっと個人的な事言うと、
この余分な蛋撻のせいでいっぱい泳がなくてはならない。
(ダイエットしてるのに菠蘿飽と蛋撻、ってところで既に無理か)

確信犯的な押し売りであった。

黒縁ノッポの意外な一面

会社についたらついたで、香港人の同僚(私はその姿形から
黒縁ノッポ」と呼んでいる)が休暇明けだというのに、
オフィスの隅っこの方で燃え尽きた灰のようになっていた。

こいつはそのまったくイケてない風貌とは裏腹に香港民主化運動の
急先鋒みたいなヤツで、デモだの占拠だのハンガー・ストライキなんて
起ころうものなら、ほぼ皆勤賞で参加する筋金入りの活動家
今日出社している事自体が驚きの旬な人でもある。

そんな黒縁ノッポであるが、やはり昨日一日香港島で大暴れしてきて
お疲れのようで、午前中のみの出勤でダウン。昼からはどこかへ消えた。
その尻拭いは罪のない私たちがやることになることになったわけだ。

以上の理由で私はちょっと今日はご機嫌斜めであり、
普段政治なんて語らないのに七・一については微妙なトバっちりを
食らっている状況にあり、少しモノ言ってみたい気分なのである。

黒縁ノッポも彼は彼なりに大変なのだ

誤解がないように言うが、私も香港を愛する一人の外国人として、
この黒縁ノッポの気持ちが分からないというわけではないし、
一種の同情的な心情のもと、彼の行動を見守っている。

彼は私より若い世代の人間で、彼が生まれた頃には今の香港の形は
ほぼ出来上がっており、今ある街の姿が彼にとっての当たり前の香港。
まさに家とも感じるような存在であると言えるだろう。
だからこそ、そんな場所によそ者が土足であがりこんでくることに
対する抵抗は前の世代より全然強い
のではないかと思う。

そんな背景もあって、一連の活動には敏感に、そして熱心に参加するわけだが、
彼も含めてこの香港って場所がとっても可愛そうだなぁと感じてしまうのは、
そういう政治レベルのお話とお金の問題とでいつもジレンマが存在すること

政治レベルの干渉に対して、声を大にしてノーと言っている心のうちには
どこか大陸マネーの恩恵を一方で享受している後ろめたさみたいなもの
あって、首根っこを掴まれている状態で自由を叫んでいる息苦しさがある。

自由を叫ぶならそれなりの覚悟もいるらしい

そういえば、私が不出来な大学生の時分には、親にはとことん
寄りかかりっぱなしが常で、仕送りはしっかりと受け取っていたのに、
就職のことやらテストのことに話が及ぶと「自分で考えてるから、
ほっといて。」というのが決まり文句であった。

親も最初のうちは大目に見てくれてたのだけど、
しまいには「もう知らないから、好きなようにやって。」
となってしまい、その時になってはじめて私は我に返ってしまった、
という若気の至りとしかいえない経験がある。

今の香港の若者は私よりよっぽど優秀だと思うが、大陸勢力を排除する
(極端な話で、今日のデモがそこまで急進的なものを望んでるかは別)
という活動は香港の経済が後退、ひいては自分の生活レベルが
下がってしまうということにも繋がる可能性があって、
そして、それをみんながみんな分かってるのだろうか、というお話である。

きっとデモ隊の先頭を駆けまわっている人たちっていうのは、
明日食うものに困ったってデモするのが自分の一世一代の使命、
みたいな信念的な別次元の絵を見て、夢を食って生活していけるだろう。

しかし、果たして普段雑踏ですれ違うようなMK妹や、
家にこもりきりでゲームやってるような夏でも色白な宅男にも
そんな覚悟があるかについては私も強気にはなれないし、
そこも含めた時に本当の民意はどこにあるのかは謎である

港女だって怒っちゃうかもしんないよ

そして、そんな政治の喧騒とは無縁とばかりにマテリアルな生活
送る港女たち。高校の時に同じクラスだったちょっと過激な言葉を
口走っていたちょっと風変わりで不気味な連中が今日テレビをつけてみたら、
何だかピースしながら英雄ヅラで警察に連行されている・・・。

それだけなら良いが、そいつらのせいで将来自分の生活が脅かされて、
もしかしたらオイタが過ぎたが故に、香港島にもトラムじゃなくて
戦車が走るようになってしまうかも、なんて彼女たちが今知ったら、
寝耳に水なんていいところであるし、その怒りを鎮めるために
どれだけの港男が犠牲になってしまうか分からない

大体、港女に限らず、生活レベルが下がるってことは
ほとんどの人間にとって苦痛になってしまう可能性のほうが高いだろう。

香港という街の使命

こうまで書くと、私はまるでデモ反対論者のようだが、実はそうでもない。

香港という場所は中共と向き合うことを考えるときに、
非常に重要な場所で、地理的にも最前線にいながら、
一応オフィシャルにデモが出来るという特異な性質を持っている。

だから、こういった活動を穏やかに続けていくことは、この街に与えられた
権利であり、最大の使命であるとも当たり前に思うところである。

中国のしたたかさは日本人なら誰しも身を持って知っているところだが、
表向きは一国二制度を約束しながらも、裏では香港の中国化の
スピードアップを
虎視眈々と狙っているのは明らかで、今回の白書の件も
香港への牽制と市民の心理的なボトムラインを試す、という意味合いもあった。

であるから、こうした動きに反対の意思表示をすること自体は
私はもちろん賛成だし、それをやめてしまってはこの街も終わりだろう、
とすら思ってしまう。早期の中国化も待ったなし、である。

落としどころはどこになるのか

ただ、一方で残念無念なのはそれをやったからといって、
何かが変化するってこともないんだろうという諦めもあることも確か。
結局の落としどころとしては、「一国二制度が約束された時期に終わるまで、
一定程度の自由を確保する」ことがせいぜいであって、
間違っても大陸勢力の完全排除ってのは夢見すぎであろう、と見ている。

要するに「変わらないために」デモするべきというのが私のスタンス。
(普通選挙をどう捉えるかはまた難しいけど)

おそらくほとんどの活動家だって、もともとは頭が良い人たちなのだから、
私に言われなくたって、そんなことは分かってるだろうけど、
選挙って何?美味しいの?的な人も混じっていて、そんな人たちが
羽目外しすぎそうな気がしないでもない。

激動の時代を生き抜いてきた街だから

そういう意味では、先の見えない中、感情を押し殺して、
あくまで理性的に妥協点に落としこんでいくという、かなり難度の
高い活動なわけだが、黒縁ノッポたちにはぜひ頑張って欲しい。

一国二制度が終わるまでに、北京に隕石が落ちちゃうかもしれないし、
何らかの理由で世界情勢が急に変わってしまって、中国を相手取って
香港を救ってくれる白馬王子が現れるかもしれないし。

現実的に考えたときには、なかなかそう上手くもいかないわけで、
一国二制度を適度に維持しつつ、それが終わってしまう日までに
新しい環境の変化に対して、きちんとソフトランディングできるよう、
着々と準備していくべきというのが妥当であろう。

それが、何か新しいビジネスチャンスの探求であっても良いし、
海外にまたまた避難するのも悪くない。
「共産党万歳」な自己暗示をかけて、自分を騙しながら、
新しい生活を楽しんでみるのもいいかもしれない。

或いは、今までも激動の時代をうまく乗り切ってきた香港人だから、
なんだかんだで飄々と何もなかったように暮らしていそうな気もする。

香港人はいつの時代でも、心は誰の支配も受けない、自由人なのだから

 

あとがき

立法会
今この緊張の中、若者たちには是非とも香港人らしく、決して暴力に
走るようなことなく、平和的に行動してほしいと願う。

力に訴えたとしたって、それは大陸勢力に余計な干渉を許すチャンスを
与えるだけだし、他国だって中国相手に香港の肩を持つなんてバカはしない。
伝家の宝刀「内政干渉」の前にみんな沈黙するだけだから。

理性的に反対の意思表示を黙々と続ける、それが今私たちにできることだよね。

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