美容室とフライトアテンダント

「どうしても自分で店を持ちたいって聞かないから。
世の中の厳しさを知らないあの子のことだから、いつかまたここに戻ってくるわよ。きっと。」

銅鑼湾の一角にある美容室で、私の後ろに立つのはちょっとオシャレな帽子がトレードマークの
小粋な香港人の青年から、その店のオーナーの女性へと変わっていた。
オーナーといっても、とても小柄でお客さんの髪を切るときでもちょっと背伸びしながら。
私はこの店に5年近く通う常連だし、彼女のことはよく見かけていたけれど、
カットをお願いするのも、お話するのも今日が初めてだった。

ーー 話はちょっと遡って1週間ほど前。
帽子の青年を予約するために電話を入れた私にたどたどしい日本語でスタッフはこう返す。
「すみません。突然ですが、彼はお店を辞めてしまいました。」

会社でも、お店でも。香港で人が入れ替わることなんて日常茶飯事。
私の周りでも当たり前にそういうことが起こってきて、いちいちそれに一喜一憂して。
そしていつの日からかまったく心が動じなくなってきたように思うけれど、
この帽子の青年がいなくなってしまったというニュースはとってもショッキングだった。

 

何年通っても、いつも変わらない同じメンバーが慌ただしく時間を過ごすこのお店では
それぞれが仕事を分担して絶妙のチームワークを見せていた。私との接し方もまるで友達のよう。
サロン自体がそういう活発で暖かい雰囲気に溢れていたから、
私はそこがとても居心地よく感じていたし、彼らのことがとっても好きだった。
人。それこそがお店に通い続けた理由の一番大きな理由だったのだと思う。

特に帽子の青年はお店の若いスタッフたちのお兄さん的存在、そしてオーナーの右腕としても活躍し、
見ていてとっても頼もしく思えるようだったし、何よりちょっとシャイで話下手な私を
抜群の話術でお喋り日本人に変えてしまうスキルを持っていたから、私にとっても大事な人だった。

そんな彼がいなくなったのだから、オーナーの落胆ぶりは私以上のものであることは想像に難くない。
何しろ彼とは10年を超える付き合いで、美容師の経験がゼロだった彼を育てあげたのも彼女だった。

先にも触れたように香港でスタッフが辞めていくなんてまったく珍しいことでもなんでもないし、
ビジネスモデルとして誰かに過度に依存する組織であった事自体も問題だったようにも思われる。
だけれど、何だか彼女にちょっと同情してしまうくらいにそれが「永遠に続きそうな空気」が
店の中には流れていたのも事実。

土曜日だというのに、スタッフが少し暇そうにするサロンで、いつも笑顔で元気いっぱいな
あのオーナーは、帽子の青年の常連客である私の前でついつい本音を漏らした。
私も彼がきっと戻ってくることを心の中で願い、彼女にもそう伝えた。

 

そう言えば、私も近々このオーナーと同じ思いをすることになるのだろう。

それは他でもない、私の目の前に座る例の香港大学卒のオタク君のお話。
彼は本当に風変わりな人で(だからこそ私は愛してやまないけれど)、うちの会社に入る前にも
おおよそ将来のビジョンなんて持っていないのだろうと思われるほどに、
異なる業種のいろんな会社の入社試験を受けてきている。そして、全て落ちた。

それは公務員だったり、日本の会社だったり、はたまたパン屋さんだったり。
仕事の合間にそんな面接経験談を聞かせてもらうだけでも私は滑稽で仕方がなかったのだけれど、
彼はついに自分が一番なりたかったのはフライトアテンダントだと打ち明けて、

「前回、キャセイを受けた時は最終面接まで行ったんですよ。
次は6月に試験があるからそれに向けて私は今猛勉強中なんです。」

と当たり前のように私に向かって言い放った。

彼が面白おかしく話す就職話に油断させられていた私は急に目が点になってしばし絶句する。
だって、本当に何て返したらいいのか分からない。
彼と私の立場を考えた時に、おおよそ面と向かって話すべきではないだろう。

私がまだ二十歳かそこらだった頃。
ボケーッとしていたら、大してまだ仲良くもない女の子が不意に

「Tバックはいているとさ、なんかスキミングされてるみたいな感じなの。」

とやっぱり言い放ったのだけれど、あの時以来の何で私にそんなこと言っちゃうの?
的な突然の右ストレートの感覚を濃厚に味わった。

「私が辞めたら困りますか?」
こんな馬鹿正直であまちゃんだから面接落とされ続けたんだろう、
と納得しちゃうような台詞を投げかけ続ける彼の言葉に私は我に返って言う。

「別に。人のことなんて心配してる場合じゃないでしょ。辞めたきゃ辞めるべきだよ。」

私だって、この会社は私にとってすでに賞味期限が過ぎたものだし、
会社にとっても私はとっくに賞味期限が過ぎた生ごみなんじゃないだろうか、
なんて考えることなんてザラにあるから、人を諌めるような元気も自信もない。

それにしても、きっと世界中どこにだって賞味期限がないものなんて
ほとんど見つからないんじゃないか、なんて思うけれど、
この街では総じて短めにそれが設定されていると思う。
だから、いちいちそれに敏感に反応していては身が持たないし、私もそれには慣れっこ。

いつもクネクネしていて、一体全体どっちに向かって歩き出したいのか
皆目見当がつかないあの子がいつまで私の前に座ってるのかは知らないし、
それは彼と私の人生の一瞬の時間かもしれないけれど、
それでもそんな細切れのシーンのひとつひとつを私たちは楽しんでいくはず。

… そういう器用な生き方が香港という街では必要なんだと思う。
未だに上手にそれができないことが多いことは他人に隠すようにしているけれど。

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