淺水灣(レパルスベイ)から始まる旅

おじいさん

似ているように見えて実はまったく勝手が違う東京での生活。
それは香港が長くなった出張者の目には、時に異国のものとすら映るようになってきている。
自分の生まれ育った国ながらいまいち落ち着かない時間。
そういう一週間を過ごして、ようやく迎えた金曜夜だった。

狩の川
東京のビル群の中にひっそりと佇む、おでん・小料理屋、狩の川
猛暑におでんとはこれいかに?と思われる方もいらっしゃる方もいるかもしれないが、
香港では真夏に火鍋をつつく人だっているくらいだから、私もさして気にならない。
「せっかくだから、日本ならではのお店で」という私のベタなリクエストにより選ばれた
懐かしくも落ち着いた雰囲気と確かな味を提供する名店でもある。

そんな日本情緒溢れるこのおでん屋だったけれど、カウンターに通され
グルっと店内を見回すや否や、得も言われぬ違和感を放つ奇妙なテーブルに気付く。
どこか見たことがあるような本が数冊、そしてノートとペンがそこにはあった。

「実はね、明日から初の香港旅行なんですよ。」
あんまりにも場違いで、だけどちょっと恋しくなってきていた「香港」という響き。
「向こうの知り合いにくっついていくだけで、わからないことばかりなんですが。暑いんでしょう?」
カウンター越しには少し照れくさそうに、しかし来る旅行に胸を弾ませながら、そう続ける女将がいた。

しかし、残念だけれど香港のことを聞かれたって私には正直あんまり喋ることもない。
あの街のことのことは大好きだけれども、そんなに詳しいわけでもないし、
人それぞれ楽しみ方がまったく違う街だから先入観を与えてしまうようなことも極力避けたい。

だから私は(女将にとっては大変不本意なことだろうけれども)彼女の方にお話してもらうことにした。
食べたいものもいろいろあるだろうし、日本人からよく聞くお店の名前の数々も
きっと彼女の口から飛び出てきて、それに対して適当な相づちをする心の準備も私にはできていた。

けれども、女将ったら
「私はレパなんとかベイってとこに行かなくっちゃならないの。」
なんてこというもんだから、私は困った。
それが淺水灣(レパルスベイ)だろうってことはすぐに分かったけれど、
そんなの初めて香港に行く人が真っ先に遊びに行くような場所ではないだろう。
どこかの茶樓で飲茶、旺角の雑踏、日付の変わった蘭桂坊。
そういう場所なら、いつもの調子で話を合わせることも出来たのに。

「実はね、私のおじいさんが大戦中にそのレパルスベイってところでね・・・」
超高級マンションが立ち並ぶ、眩しいビーチからは想像もできないようなお話が続く。
乱暴に要約してしまうと、彼女のおじいさんは日本統治下の香港に軍隊の一員として
滞在していのだけれど、ある日やはり殺生に関わる事件が発生したのだという。
いくら軍人とはいえ、それ以来日本に帰国してからもそのことが彼にとっては心の傷になっていた。
当然、それを聞かされて育った女将にとっても、香港はずっと近くて遠い街だった、と。

こういう自分が当事者、もしくはそれに近いという人から聞くと戦争もぐっと身近になる。
この街の生活はあんまりにも忙しくて、そして日本人にとっても友好的にしてくれる香港人たちが
多くいるからついつい忘れがちになってしまう。
戦争なんて分かってるつもりで、実は全く分かっちゃいない。
私はよくあるそういう類の人間である。

海を越えて日本は安保法案で揺れているけれど、これからの世の中何が起こるかなんて
私のように政治に疎いものには想像もできないし、そもそも国家レベルの問題と
自分自身に振りかかる問題を精確に把握して、将来に残る判断をするなんて能力は今のところない。

特に香港(中華圏)に住んでるという奇特な身分だから、周りの日中関係の見方が
どうにも中国目線のものになってしまって、ついつい日本の国際政治のやり方に歯がゆく、
それに悔しく思っているというバイアスがある人間に正しい判断なんて出来るものなんだろうか。
日本で生活する人たちだって大局をきちんと把握している人の方が稀なのだろうし。

ただ、そんな私にだって戦争っていうのはいろんな形で未来に禍根を残してしまって、
淺水灣をどんどん増やしていってしまうからダメ、という一番単純かつ重要なことだけは判断できる。
そういう意味では分かったような分からないようなイマイチ気持ちの整理がつかない私に
最近胸がすくような言葉がステッカーという形になって偶然現れてくれた。

戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。
ー 吉田健一氏 エッセー「長崎」より

最終的に市民レベルでしか物事を見てしまう私のような人間にとっては
どんなお偉いさんの説法や政治家の演説よりもこの一節の方がよっぽど分かり良い。

コンテキストが分からない私なりの解釈だけれど、自分が失いたくないと思える
ものや人が出来るように日々の生活を慈しみ、それが少しでも長く続く努力すること、
これすなわち戦争と相反する思考、行動だと私は受け取っている。
裏を返せば、好きなものも大事なものも無い人っていうのは・・・、
ってことになるけれど、今の時代はそういう人が多いのも確かなんじゃないかと思う。

ー ようやく意を決して女将は香港、そして淺水灣を訪れる。
夕日に照らされ金色に輝くビーチに日本じゃ見られないようなド派手な寺院。
感傷に浸るには少し賑やかすぎるそんな場所で、おじいさんの代わりに香港に「ただいま」をすること。
そこから女将の香港旅行は始まる。

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