富岡製糸場 – ふらっと飛び乗った新幹線の先にあった世界遺産

日本で過ごす最後の週末。私は何も考えずに東京駅へと向かった。
どこへ行くかなんて決めてない。
ただ、行き先を決めずにふらっと小旅行に出たかったのだ。

それは私にとって、ある種の衝動であった。
昨夜、私がいたのは歌舞伎町のロボットレストラン
Robot Restaurant
ショービジネスとしては完成度も高く、大変に興味深いもの。
ここも含めて手品バー、監獄レストランと帰国子女でもある上司には
話のネタになりそうな場所にいろいろと連れていってもらってはいるが、
残念ながら私がそこにいて気持ち良いという場所たちでは無い。

そんな居心地の悪い空間にいながら、今日の旅行を既に心に決めていた。
自分の好きなように、運命に身を任せるようにどこかに行ってみよう
とにかく自由への渇望でいっぱいだったわけである。

 思い出の場所=観光地ではない現実

そんな私だったから、東京駅に着くとすぐに新幹線乗り場へと向かった。
とにかく東京という喧騒から離れたかったのだと思う。
関東近辺の温泉に行くのも良いし、あまり行ったことのない東北も良い。
もっと足を伸ばして京都にでも行ってやろうか。

そうこう考えながら電光掲示板を見ているうちに「高崎」の字が目に入った。
「あ、うちの親も高崎に住んでたことがあるとか懐かしんでた場所だ。」
私が生まれる前の両親の足取りを追ってみるのも面白いかもしれない。
予定よりずっと近場になってしまったが、私は新幹線に飛び乗った。

高崎なんて在来線でも普通に区内からアクセスできるくらいだから、
新幹線なら本当にあっという間。携帯でろくに情報する暇もなく
到着してしまった私は当然右も左も分からないから、
元在住者としてのアドバイスを期待して実家に電話した。

高崎には何にもないよ。観音様もまぁ、普通だし。」

・・・。
如何にも良い場所という風な口ぶりで話しているのを聞いていたから、
とんだ誤算であった。ただ、住み良い場所と観光地とは必ずしも
一致するわけではないし、彼らにとって良い場所なのは間違いないのだろう。

ストレス溜まると使っちゃうよね

ちなみに、電話中に母が何気なく口に出したのだが
「高崎に住んでたころは、お金もなくってあんまり遊びにも行けなくて。
外食もしていなかったから、おすすめのレストランって言われてもね。」
という言葉は何故だかちょっと心に残ってしまった。

父は公務員として務め上げてくれ、おかげで私は裕福とは言えないまでも
安定的な財政を堅持してくれている頼もしい姿しか見てこなかったが、
そんな両親に私の知らない節約のために食材を切り詰めたり、おにぎりを持って
ピクニックが精一杯な時間があって、そんな中、私が生まれてきたわけである。

そして、今日私はあんまりお金のことも考えずに新幹線に飛び乗るような
ことをしている。うーむ・・・。
(ストレスがたまると、ついつい財布の紐が緩むのが私の癖、ほんと。)

結局、行き先は・・・

そういう昔話を話す母から、しばらくして出てきたのが「富岡」という地名。
今年になって世界遺産化が決定した富岡製糸場というある意味旬な場所。
昔の私だったら、まったく興味を示さなかったであろう場所であるが、
海外住まいな上に歳もとってきている今の私には十分ストライクゾーンである。

上信電鉄
ということで、旅は一気にローカル色を強めて、ネギでも有名な下仁田行きの
上信電鉄に乗り換え。1時間に1〜2本しか出てない超ローカル路線ではあるが、
こういう電車旅行も今の私には楽しく思える。横川の釜飯弁当持参で乗車。

上州富岡
下車駅は上州富岡。高崎駅からは35分程度。
どうやら、この駅には駅員さんがいるらしい。
というのも中間の駅はほとんど無人駅で、電車の運転手が駅でとまるたびに
切符回収もこなすマルチタスクだったから、人がいる駅があることに逆に驚く。

上州富岡駅前
駅前。繰り返し言うが、上州富岡駅前メインストリート。
案内によると世界遺産登録された富岡製糸場までは徒歩で問題なく行ける距離。
その駅前がこの状態であるから、私は降りる駅を間違えたかと本気で思った。

富岡製糸場前
あの不安過ぎる駅前を信念を持って突き進み、地図のとおりに進むと
こんな感じで不自然なくらいに混み合ってる一角に出くわすはず。
そう、富岡製糸場は本当にここにあったのだ。
どうもバスに乗って来たツアー客の方が上信電鉄経由の人より多いようだった。

富岡製糸場門
富岡製糸場
私の年代で言うと、日本の歴史で集中力の切れてくる明治時代あたりに
名前だけは出てくるだけしか接点のない、あまり詳しく存じ上げない施設。
しかし、調べてみるとなかなか面白い生い立ちの工場である。

長い鎖国を破り、開国をしたのは良かったが、産業を持たなかった日本。
そんな時代にあって、日本の数少ない輸出品の主力となっていたのが生糸。
というところまで話は遡る。

富岡製糸場 石碑
当時ヨーロッパの養蚕業で流行した微粒子病により、日本からの輸出量は拡大。
しかし、確固とした生糸生成のインフラを持たなかった日本では供給が
到底追いつかず、クオリティの低い生糸が乱造されるという事態が起こった。

海外からの日本製生糸への評価は当然低迷。(現代でいう中国?)
この事態を重く見た日本政府が国をあげて製糸業界の改革を断行したのだけど、
その旗頭とされたのがこの富岡製糸工場というわけ。
であるから、官営の模範工場として技術とインフラの発信地としての使命を
もって生まれてきた日本近代化のシンボル的存在である。

富岡製糸場工場内
今日の元気のない日本に見慣れた私たちにとって、日本近代化の黎明期の風を
感じさせてくれる遺産としてのこの富岡製糸場の価値は計り知れない。

政府のバックアップを受けた工場から作られる生糸はたちまち世界からの評価を
一変させることに成功し、フランス・イタリアさらにはアメリカへの輸出が
ひっきりなしとなり、工場内の器械は日夜忙しく回転した。

たちまち、絹の輸出量として日本は世界最大となり、世界にそれが浸透されるに
あたって非常に大きな影響を与えた国となったといっても過言ではない。

富岡製糸場 器械
ちなみに、富岡製糸場はブリュナという人物のアイディアにより作られた。
それまでの日本独自の非効率な生産方法ではなく、当時のヨーロッパからの
先進的な技術がこのフランス人により導入された。

しかし、この工場が産業改革という意味で成功に終わった理由は、
おそらく彼がフランスからの技術をそっくりそのままここに持ち込まず、
日本に合わせた形で臨機応変に、いわば和洋折衷な落としこみをしたから。

それは日本古来の木造建築にレンガ造りを合わせてみたり、
体格の小さな日本人に合わせて器械を低く設定しなおしたり、
湿度の高い風土に合わせた生産方式にアレンジしたりと枚挙にいとまがない。

そんな彼の苦悩から生まれたアイディアの結晶が工場内にはあちらこちらに
散見できる。当時の器械だって、上記のように非常に状態よく保存されている。

富岡製糸場 診療所
そういえば、社会の教科書で富岡製糸場が登場した際に、何だか「結核」という
キーワードが登場したような気がしていた。
確かにこの工場で毎日のようにあの器械に向かって、過酷な労働をしたなら
心身ともに相当のストレスになることは想像に難くない。

構内を歩きまわっているときにそんなことも考えながらであったから、
どこかでダークで心が痛くなるような資料に出くわすのであろう、
と私は心のどこかで密かに準備をしていた。

しかし、どうしたことであろう。そんな女工たちの悲惨な生活ぶりの臭いは
まったくしない。それどころか、当時の診察・治療費はすべて会社持ちで、
非常に厚遇であることばかりを強調する文章が多かったのは意外であった。

富岡製糸場 女工宿舎
女工たちの宿舎。
立入禁止だから、当時の彼女たちの暮らしぶりを見ることはできない。

ネット界隈を見ても、世界遺産登録という輝かしいニュースの裏で
当時のブラックぶりを隠ぺいするかのような姿勢にネガティブなコメントも
見られるが、真相はここで働いていた女工たちのみぞ知るということか。

この一大産業が多くの女性の力によって興ったという事自体が
とても誇れることだし、もっとスポットライトを浴びるべき人たちである。

富岡製糸場
ちなみに、この富岡製糸場。遠い昔の過去の遺物のように私も考えていたが、
1872年(明治5年)の開設から操業停止はなんと1987年。
戦時下も休むこと無く、結構最近まで稼働していたというわけである。

そして、もっと驚くことは閉鎖されて20年近く経つ明治時代の建物が
今現在でも驚くほど良い状態で保存されていること。

富岡製糸場 操糸工場
何故私がそんなに驚くかというというと、実はこの製糸場の経営母体は1891年に
民間に移されており、その後いくつかの企業で売買があったものの、
実際に操業停止した際の経営は片倉工業という民間会社。
(1939年から経営開始)

この会社の尊敬に値するところは1987年に生産を止めたこの製糸工場の
文化価値をしっかり認識し、その後も保存に全力を尽くしたところである。
何も利益を生まない工場、しかも固定資産税だけでも1億とも言われる大金を
2005年に富岡市に寄贈するまでに払い続けていたのである。

施設の補修に関しても、なるべく建設当時の手法で行ってきていたという。
並みの民間企業がやってのける芸当ではないことは間違いない。

富岡製糸場 発掘現場
そんな企業の頑張りがあって、今日こうした歴史的な遺産を観ることができる
わけである。また、施設内には写真のような現在発掘調査中の場所、
それから昨年の大雪で倒壊してしまった建物も多くある。

それを受けて現在、管理団体である富岡市は観光客からの入場料を値上げして
保全費用に充てたい、と考えているようであるが、たとえそれが今の2倍の
1,000円だとしても払ってもいいんじゃないかと私個人的には考えている。

事実、施設内には見学できない建物が今でもたくさんあるのが現状だし、
何より日本産業の先駆け、今の日本の礎を築いてくれたこの工場は
それに値するものだろう。

運命に身を任せるべく始まったブラリ一人旅ではあったが、まさにそこには
私が出会うべく遺産があったわけで、今後もひとりでも多い日本人、
そして外国人をインスパイアする古き良き遺産としてそこにあって欲しい。

富岡製糸場
〒370-2316 群馬県富岡市富岡1-1 電話:0274-64-0005
大人 500円 / 高校・大学生(要学生証)250円 / 小・中学生 150円


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